沖縄戦訴訟、住民側の上告棄却は妥当


 最高裁は、戦争末期の沖縄戦で犠牲になった住民の遺族らが国に謝罪と1人1100万円の損害賠償を求めていた訴訟で、住民側の上告を退ける決定をした。これによって、国の責任を認めなかった一、二審判決が確定した。

 住民側の主張は「旧日本軍の戦闘行為は、国が国民を保護する義務に反していた」というものだったが、上告を棄却した決定自体は妥当なものである。だが、論拠の説明は不十分と言わねばならない。

戦場での保護は任務外

 これは沖縄戦の民間被害者が国に賠償を求めた初の訴訟で、根底にあるのは沖縄県民の間に広く言い伝えられている「米軍の攻撃に対し、軍は県民を守らなかった」という主張である。この主張の延長線上には「ヤマトンチュ(本土の人)は沖縄を助けなかった」との思いが潜んでいる。だが、誤解も甚だしいと言える。

 第1に、在沖縄の陸軍部隊の中心は本土から派遣された師団などである。陸海軍の特別攻撃隊隊員も本土出身者が主体であった。

 戦艦大和をはじめとする海軍残存艦艇も、沖縄に向かって出撃して撃沈されたことを忘れてはならない。

 第2に、近代以降の軍は敵を撃退することで国家・国民を守るのが任務であり、直接戦場で住民を守ることは任務でない。明治以降、わが国は国土が狭隘(きょうあい)で縦深性のないことを補うために前進防御態勢を取った。このため、本土での地上戦はなかったが、欧州の主要諸国では沖縄のように住民を巻き込む地上戦が普通であった。

 だが、各国の軍が直接、住民を守ったりはしていない。一部アフリカ諸国やベトナム戦争当時の南ベトナムの地方軍のように家族などが軍と共に行動していれば、近代戦では勝利できないからだ。

 第3に、軍は敵国の軍隊と戦うのが主任務であり、それは国際ルールが決まっている。一方、近代以降の軍は災害救助のように自国民を助ける際には憲法や法によって規制されている。明治憲法下でも、戒厳規定を受けて戒厳令が制定されていた。災害救助に際しては、現在と同様に(官選)知事の出動要請が不可欠であった。警察補助活動の場合も、衛戍(えいじゅ)令、憲兵令で規定されていた。

 沖縄での地上戦が必至となった情勢下で、政府・軍当局は沖縄県に「一部戒厳令」を発令するか否かを検討した。戒厳令が発令されると、県当局、警察など全行政機関が軍の指揮下に入るので、住民の保護などは軍の責任となる。

 しかし、発令は見送られたため、住民保護は県・警察当局の責任で実施された。

“不磨の大典”論が障害に

 発令が見送られたのは、欧米諸国が総力戦となった第1次世界大戦の教訓を踏まえて非常事態法制を抜本的に再整備したにもかかわらず、日本は戒厳令の内容を改めなかったためだ。

 明治憲法の“不磨の大典”論が障害となったことは言うまでもない。現在は「改憲絶対反対論」が法の硬直化を生んでいる点を想起すべきである。