米経済蝕むオピオイド中毒
アメリカン・エンタープライズ研究所客員 加瀬 みき
白人中年男性の患者急増
企業負担増、地方財政も破綻
アメリカ経済は順調なように見える。株価は上向きだし、失業率も4%台に下がり、連邦準備制度理事会(FRB)は6月に利上げ、10月から資産縮小も実施する。しかしその一方で、オピオイドと呼ばれる鎮痛剤の乱用による中毒患者や死者が急増し、社会や経済に暗い影を落としている。
アメリカ全国保険統計センターによれば、昨年薬の乱用による死者は6万4000人、1日平均175人とその前年比22%の増加であった。中毒患者は260万人とされる。オピオイドにはモルヒネやヘロインが含まれるが、昨今さらに強力な合成オピオイドであるフェンタニルが広まっている。フェンタニルには「ぽっくり死ぬ」薬というあだ名がついているが、3年前にはわずか3000人であったフェンタニルによる死者は昨年には2万人以上と急激に増えた。
オピオイド対策のための連邦委員会議長であるニュージャージー州知事クリス・クリスティーは、3週間ごとに9・11同時多発テロと同規模の死者が出ている、とオピオイド中毒死をテロと比較するほどで、事態は深刻になっている。
オピオイド中毒者の中には、そもそも鎮痛剤を処方され、それに依存し、徐々に強いもの、あるいは処方量をはるかに超えた分量を服用し、中毒になっていった場合が多い。フェンタニルは、がんの鎮痛剤あるいは麻酔薬として開発されたもので、モルヒネより1万倍強いとされる。瞬間的に痛みが消え、気分がハイになるが、死と紙一重である。
ジャネット・イエレンFRB議長が就任直後から労働市場参加率の大幅低下がもたらす中長期的影響を指摘してきたが、その重要な要因が働き盛りの中年白人男性のオピオイド中毒とされる。オピオイド中毒の広まりによる労働力の損失、医療費や治安対応策などの経済負担は750億ドル余りといわれる。この数字には失われた生命の価値が含まれないが、保険会社が用いる1人の命当たり500万ドルという数字による合計損失は1500億ドルには上ると報道されている。
中毒患者がもたらす治安や医療、福祉問題は、警察官や病院、企業に大きな負担をもたらし、地方都市や州政府の財政を蝕(むしば)んでいる。州政府や都市は薬品会社や卸売り企業、さらには薬局を対象に訴訟を起こし、財政の穴埋めをさせようとしている。問題となっている医薬会社にはジョンソン・アンド・ジョンソン、アレガン、薬局ではチェーン店のウォールグリーンやCVSなど大手有名会社が含まれる。
オピオイド中毒はがんなどに比べても中長期的により深刻な問題をもたらす。中毒に陥り、そこから抜け出せず、健康だけでなく職や家族も失う。薬を手に入れるために罪を犯す。家庭は崩壊し、子供は落ちこぼれ、職にも就けずそれが再び薬の使用につながる。薬物中毒で生まれる子供や家中に転がっている薬を誤飲し死亡する例も増えている。
ノーベル経済学者のアンガス・ディートンとアン・ケースが「絶望による死」が中年の白人に増えていると一昨年発表したが、教育レベルの低い白人の死者が急激に増えている原因は、アルコール、自殺、そしてオピオイドなど麻薬である。
問題の深さは、1990年代末に2000億ドルで和解したタバコ訴訟と同類とされるが、タバコ問題の場合はタバコ会社に責任追及が集中したのに比べ、オピオイド問題では、責任を医薬会社や薬局にだけ押し付けることはできない。
ゴールドマン・サックスは7月に2008年の金融危機後、中毒が広まったという調査を発表した。確かにその後、労働市場に参加する働き盛りの男性の数は減っている。経済難から薬に頼るようになり、経済が回復しても薬の影響で働けないだけでなく、乱用や中毒で雇用審査を落ちてしまう。
しかし金融危機より前から中毒が広まる土壌があった。1990年代には医師が必要ない患者にも痛み止めを処方していたとされ、これが痛み止めの乱用を招き、普通の痛み止めが入手できなかったり、利かなくなったりすると、ヘロインなどに、そしてさらに強いフェンタニルの乱用につながったとされる。
こうした背景が対応を難しくしている。薬の開発や利用を認めた政府機関や薬を処方した医師、そしてどんどん強い薬を大量に服用した患者本人にも責任がある。州や地方都市が薬品会社に対し訴訟を起こしているケースが25~30件はあるとされるが、薬品会社にオピオイド伝染の近因があると証明し、製造を中止させたり、賠償責任を取らせるのは法律的に不可能とみられている。
クリスティーは医薬業界が中毒性のない痛み止めの開発などで問題対応の協力をすると発表したが、薬品会社にとってはさらなる収益源を生み出すに他ならない。責任追及の難しさは、強力な擁護団体のある銃が規制できないのと同じとされる。
中毒患者を急激に増やし、家庭や地域社会を崩壊させ、犯罪を増やし、州や都市の財政を破綻させているオピオイド危機。政府や医療機関などの負うべき責任を明確にするなど早急に厳しい対策を打ち出さねば、薬がアメリカ社会や経済をますます蝕むことになる。
(かせ・みき)











