内政干渉を求め続けた2人、自己否定と完敗と中国

山田 寛

 

 中国・武漢発の新型肺炎を拡大させた一大要因が、共産党政権による情報開示の遅れであることは間違いない。だが中国は、政権の責任、体制の構造問題を問う様な国内の批判は抑えつけ、外からのそれは「内政干渉」だと断固はねつけるだろう。それでも、外国はその情報統制や人権、民族などの抑圧に対し言うべきことを言い、「内政干渉」し続けなければならない。

 ところが、そんな内政干渉がらみで衝撃発言があった。ミャンマーの最高指導者、アウン・サン・スー・チーさんが先日、自国を訪れた習近平・中国国家主席の前でこう宣言した。「人権、民族、宗教を口実に他国に乱暴に内政干渉する国々があるが、わが国は圧力や干渉を決して受け入れない」

 人権問題などでの内政干渉を拒否すると叫ぶ国々。その総元締の前でその叫びに唱和したら、彼女は自分の民主化指導者人生を完全に自己否定することになる。1988年の民衆蜂起から四半世紀以上、彼女は自国への内政干渉を求め続けたのだから。

 96年、軍事政権による自宅軟禁が解かれていた時に行った私のインタビューでも、彼女は「人道名目の援助で軍事政権の無法者たちを支える日本政府」を厳しく批判し、軍政幹部夫人らの組織「母子福祉協会」への援助など、日本の主要援助プログラムを糾弾した。援助停止=干渉を求める強烈な気迫に圧倒された。

 今回、スー・チーさんは「世界が終わるまで中国に足並みをそろえる。中国は引き続き、公正さを保ってほしい」とも述べ、習氏は「中国は一貫して内政干渉していない」と応じた。だが、彼女があれだけ非難した“無法者”軍事政権を支援し続けたのが中国だった。中国が公正さを保ってきた? 権力の座についたら、内政干渉を邪魔者扱いする。内政干渉ははかない。

 東南アジアでもう一人、四半世紀以上内政干渉を求め訴えてきた政治家が、カンボジアのサム・ランシー氏である。金融専門家で93年、44歳でカンボジア内戦終結後誕生した新王国の蔵相に抜擢(ばってき)された。そして汚職あふれる政治社会を改革すべく、腐敗退治の大ナタをふるった。泥沼の中の一筋の清流と思われたのに、抵抗勢力だらけの議会の不信任決議で退任させられた。

 この国では97年にフン・セン首相が事実上のクーデターを強行し、民主主義が着実に後退した。ランシー氏は野党党首となり、その党(国民党→サム・ランシー党→救国党)は13年の国会選挙で45%も得票し、与党を脅かした。だが17年、政権の強引な政党法改正(党首が犯罪者の政党を解散させられる)で解散させられた。

 彼は実際、首相への名誉毀損(きそん)や器物破損その他の罪で再三裁判にかけられ、国外脱出しては欠席裁判で懲役刑を言い渡された。15年からはフランスに逃れている。

 90年代後半から彼の重要な活動になってきたのが、国際社会にフン・セン強権政治に対する干渉と圧力を呼び掛けることだ。会うと一見学者風だが、スー・チーさん同様、気迫満々だった。

 国連や西側諸国も、(ソフトながら)日本もそれに応え「内政干渉」してきた。だが弱かった。中国の支援で自信をつけたフン・セン政権が、事実上の一党支配体制を確立してしまった。「内政干渉」とランシー氏の側の完敗である。

 自己否定と完敗。中国にも他の「内政干渉拒否国」にも、必要な場合内政干渉はぜひ行われるべきだが、中国の壁の拡大でそれは一層はかなく、弱くなりつつある。

 今回の新型肺炎を巡る“失態”で、その中国の自信の壁にほんの少しでもひびが入るだろうか。

(元嘉悦大学教授)