日本の大学入試の問題点
沖縄大学教授 宮城 能彦
「運」が左右する一発勝負
複数回の資格検定試験実施を
今回が最後だと言われる大学入試センター試験が終わった。
しかし、来年度から新しく始まる大学入学共通テストに関して、かなりの混乱が生じている。
大学入試や高等教育システムについては、これまで何度か書いてきたが、ここで日本の大学入試の問題点をまとめておきたいと思う。なぜならば、日本の大学入試について相変わらず本質的な議論がなされていないからである。
知識不足で思考力低下
まず、大学入試センター試験の問題の内容はとても良くできているということを認識しなければならない。50万人以上の受験生の知識力を公平に判断するのに、これ以上の方法はないといっても過言ではないと私は思っている。
しかし、多くの人が、今回の入試改革は「試験問題の内容がよくないから」あるいは、「時代にそぐわなくなったから」だと勘違いしている。
「時代にそぐわない」と考えるのはなぜだろうか。最も大きな理由は、「考える力」がますます必要になってくるこの時代において、知識の量だけを問うような入試は時代遅れということである。
そういった考え方を背景に新テストでは、民間業者の英語試験を利用して、英語の読み書きだけでなく実践的な会話力も重視しようとしたし、国語では記述式の問題によって「考える力」を測ろうとした。
しかし、ご存じのように、この二つはどれも破綻してしまう。
何十万人という受験生に記述式の問題を解かせて、それを「公平」に採点することが可能なのかという議論が当初からあったが、問題の本質はそこにはない。
そもそも、大学入試で「考える力」をここまで測る必要があるのだろうか。そのようなことを書くと、「考える力は必要であり、実際に若者たちの考える力が低下している」と言われるが、もちろん、その能力は必要である。
私が議論したいのは、それは大学入試という高等教育の入り口で試されることなのだろうか、ということである。
皮肉なことに、大学生の思考力が落ちてきたと大学関係者が感じるようになったのは、小中学校の総合的な学習などで「考える」ことが重視されてきた頃からである。むしろ「詰め込み教育」の時の学生の方がまだよかったと多くのベテランの先生は話している。
考えるためには、その基礎となる「知識」が必要である。極端に言えば、ある程度の「知識」さえあれば、あとは大学教育で考える力を育成することができる。
現在では、小中高校で「考える力」を重視して「知識」がおろそかになってしまったため、大学で「補習」するということが当たり前になってしまった。
なぜ、大学入試という入り口で、「完全な」能力が求められるのだろうか? 私にはそれが不思議でならない。
おそらく、その発想の根底にあるのは、大学教育に期待していないということなのだろう。実際に文系の多くの学部では、要領よく単位をとって、就活の時に頑張りさえすれば何の問題も生じない。学力的には18歳がピークだったということになる。
私は、大学入学資格検定試験を行うべきだと思う。ある一定程度の知識がなければどこの大学にも入れないという制度を。
実は、現在の入試制度で最も大きな問題点は、年に1度の一発勝負だということである。体調なども含めて「運」が左右する要素が大き過ぎるし、若者にとって1年はものすごく長くプレッシャーは大きい。「運も実力のうち」という人も多いが、それは結果的に運が良かった人の根性論である。
選別でなく育成が重要
センター試験を年に2回、できれば3回行って、そのうち最も高いスコアを使ってもらう。そうすれば一発勝負の運不運が避けられ、高校生も前向きになれる。できれば高校2年生から受験できて、飛び級もできるようにすればいいと思う。
日本の受験制度は「ふるいにかける」という発想から抜け出すことができていない。人工知能(AI)の時代、そして少子化がますます進む現在において、競争心をエネルギーとするような選別(大学入試)ではなく、「数が少ない若者をいかに育てるか」が重要なのである。
(みやぎ・よしひこ)