玉城知事は国の立場理解し、問題解決を

自民党県連会長に復帰した 照屋守之氏に聞く

 知事選、名護市長選、那覇市長選など、沖縄県にとって重要な選挙が目白押しだった選挙イヤーが幕を閉じる。照屋守之自民党沖縄県連会長に凋落(ちょうらく)傾向にあった革新勢力を復活させた原因や、来年の課題などを聞いた。(聞き手=那覇支局・豊田 剛)

基地の整理縮小を前面に
女性・無党派へ働き掛け強化

基地の整理縮小を前面に、女性・無党派へ働き掛け強化

自民党県連会長 照屋守之氏

 ――選挙イヤーとなった今年1年を振り返っての感想は。

 2月の名護市長選、3月の石垣市長選、4月の沖縄市長選と連勝していい流れができた。自民と公明、維新、さらに、企業・団体を含めて一致団結して選挙戦に取り組んだ結果だ。

 これが、8月8日に翁長雄志知事が亡くなるという予期せぬことが起き、知事のポストを奪還することができなかった。知事選では今回、選考委員会を立ち上げ、知事選で佐喜真淳・前宜野湾市長を擁立した。これ以上ない候補だったと思うが、県政を奪還できなかったのは残念だ。引き続き行われた豊見城市長選では保守分裂してしまい、那覇市長選も負けてしまった。

 改めて、県連として選挙の取り組み方を考えされられた。中でも、女性と無党派層へのアプローチが弱く、来年はこれを課題として取り組んでいきたい。

 ――具体的にはどのような取り組みが必要だと考えるか。

 自民党は、一貫して平和を希求し、経済国家をつくってきたことを自負している。戦後、1度も戦争が起きていないのは、国民のために政治をしてきた結果だ。自民党県連は県民の期待に応える政党であるべきだ。そのためにも、もっと強くなって県政をリードできる1年にしていきたい。

 県知事選では十分に訴えることができなかった基地の整理縮小、危険性除去を前面に出していく。普天間基地(宜野湾市)の移設問題、辺野古移設を正面から訴えていく。移設後の跡地利用、再開発のビジョンを示し、地域がより良くすることが必要だと感じてもらう。

 来年の大きな山場は4月21日の衆院沖縄3区の補選だ。3区支部は島尻安伊子元沖縄担当相を擁立する方針を決めた。今後、県連常任総務会で正式決定した上で党本部に公認申請する流れになる。補選では、これまでの選挙協力の枠組みを継続しながら、有権者に理解してもらえるようしっかり取り組んでいく。

 国政選挙における連敗と昨年の知事選から那覇市長選にかけての連敗の悪い流れを止めるためにも、どうしても勝たなくてはならないという危機感を持って取り組まねばならない。

 ――翁長氏から玉城デニー氏に引き継がれた県政をどう評価するか。

 革新系のオール沖縄県政の政治は「課題解決」ではなく、「問題先送り型」だ。そしてそのことについて一切責任を負わない。例えば、大型MICE施設(与那原町と西原町)の建設は未解決。辺野古移設をめぐっても埋立承認取り消し訴訟の最高裁で負けている。

 玉城知事は「国との対話で解決する」と言うから、今後は一方的な国批判ではなく、国の立場も理解した上で、県の立場を訴え、問題解決してほしい。

 ――辺野古移設をめぐっては、このほど埋め立て土砂が投入された。

 普天間移設問題の取り組みは平成8年、実に22年前からやっている。途中、鳩山政権の誕生などもあり紆余(うよ)曲折したが、当時の稲嶺恵一知事、島袋吉和名護市長、東肇宜野座村長が現在の案に合意し、それに基づいて建設が進められている。

 この間、県連としてもさまざまな代替案を検討したが、辺野古が唯一の計画という結論だ。裁判でも県が負けて現在に至っていることを考えると、普天間問題の解決はこれしかない。反対する県民感情については理解しながら、早期の危険性除去、そして嘉手納基地以南の米軍基地の整理縮小を強く推し進めたい。

 ――2月実施の県民投票に対する県連の対応は。

 単純な賛否を問うだけではなく「やむを得ない」など4択でやるべきだった。すでに宮古島市など反対を決めた所があり、反対決議、予算案を否決した議会も続々と出ている。最後は市町村長の判断になる。

 ――知事選で敗北し国場幸之助氏が県連会長を引責辞任した。県連は9日、那覇市で総務会を開き、副会長の照屋氏を新会長に充てる人事案を全会一致で了承した。8カ月ぶり2度目の会長就任となるが。

 自民党県連は、県民に期待され、沖縄の政治をつくる立場だと理解している。現状では県民の信頼が得られているとは言えないので、それを回復していくのが私の仕事。所属議員には日常的に地域で活動してもらい、県民・住民の声に耳を傾け、理解してもらうように努めてもらいたい。沖縄県のため、日本のために必要とされる県連にしていきたい。


照屋守之 てるや・もりゆき

 1956年、沖縄県うるま市具志川出身。94年に具志川市議に初当選。2004年、県議選に初当選し、現在4期目。自民党県連幹事長や会長代行などを歴任し、16年から18年4月まで会長を務めた。