禅から密教へ 大自然の知恵に学ぶ
広島大学名誉教授 町田 宗鳳師に聞く
新型コロナウイルスによるパンデミックは、私たちに自然との関係の問い直しを迫っているのではないか。
そんな思いを抱きながら、14歳から20年間、臨済宗の大徳寺で禅宗の修行をし、65歳で天台宗の僧侶になり、「今こそ密教を」と、富士山麓の「ありがとう寺」で護摩の炎に向かい、独創的な宗教観を説いている町田宗鳳(そうほう)師を、御殿場の「ありがとう寺」に訪ねた。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)
農作業が覚醒もたらす
文明転換期には疫病流行

まちだ・そうほう 1950年京都市生まれ。幼少期は聖公会の教会に通い、14歳から20年間、大徳寺で修行。34歳で渡米し、ハーバード大学で神学修士号、ペンシルベニア大学で博士号を取得。専門は比較宗教学・比較文明学。プリンストン大学助教授などを経て、現在広島大学名誉教授、御殿場高原「ありがとう寺」(無宗派)住職。「ありがとう断食セミナー」、オンライン「ありがとう禅」など開催している。近著は『「無意識」はすべてを知っている』(青春出版社)『異界探訪』(山と渓谷社)他。
世界的なコロナ禍をどう感じますか。
ここで人類社会がいったん立ち止まり、生き方を問い直す必要があったのでしょう。今までのような経済至上主義ではなく、人間として助け合い、この瞬間を大切に生きるという生き方を身に付けるため、神様が歩みを止めてくれたのではないでしょうか。
ウイルスは民族や信仰に関わりなく感染しますから、人間の平等性も教えてくれました。文明転換期には疫病が流行するのが決まりで、コロナは到来する新文明の足音でもあります。しかし、本当の試練はこれからのような気がします。近い将来、もっと大規模な天変地異が起こるかもしれません。
私は農業暮らしが20年を過ぎ、空海の言う即身成仏、大自然の本体である大日如来との一体化が、少し分かり掛けた気がします。先生は今こそ密教が必要だと言われていますね。
密教の一つのポイントは「感応道交」であり、仏と人、人と人との気持ちが通じ合うことです。それは鎌倉新仏教が切り捨てた部分で、大自然との有機的な交流が空海密教の大きな要素です。密教の大日如来は大自然の象徴であり、私は一神教の創造主に近い存在だと思います。
仏教の三身説でいえば、大日如来が真理そのものの法身なら、不動明王は衆生済度のために機に応じて現れる応身で、弘法大師は現実世界に肉体を持ちながら、仏法を体現した報身ではないでしょうか。
梅原猛さんは、平安仏教は自然中心だったが、鎌倉仏教は人間中心になったと言います。
それは、カトリックとプロテスタントの関係に似ています。カトリックはヨーロッパのケルト文化を基層に取り込んで自然への畏敬の念が強く、クリスマスやサンクスギビングなど自然の暦から生まれた宗教儀礼を持ち、神秘主義的な側面もあります。それをプロテスタントは切り捨ててしまいました。
そこには歴史的な必然性もあり、奈良・平安仏教は世俗の権力と結び専横になりました。その抑圧から逃れ、個人の救済のための教えを説いたのが、法然上人を筆頭とする鎌倉仏教の祖師たちです。
キリスト教では、バチカンの横暴を打破するため、マルティン・ルターが聖書の重視、信仰による救いを唱えたのです。ですから、それぞれの宗教改革は歴史的に必然的なものでしたが、今はもう一度、両者を統合させるような努力が必要です。
私自身、65歳にして比叡山に60日こもり、厳しい修行を体験しました。1200年の伝統を山の中で守り続けているのは尊いことと思いましたが、そこに思想的な発展を感じることはありませんでした。
四国遍路の「同行二人(どうぎょうににん)」は、気が付くと隣にお大師さんが歩いておられたという意味で、遠藤周作の「同伴者イエス」と似た「救い」のかたちです。
日本人は超越的絶対神に親密感を持ちにくく、人間像を伴う神仏でないと安心感がない。法然上人は、いつでもどこでも阿弥陀仏と同行二人を実感したところから念仏信仰を広めました。
一般の人たちにも日常的な生活を通して、同行二人という境地を開く道はあると思います。自分自身の「不可視の友」を見つけ、それと「感応道交(かんのうどうこう)」しながら生きることができるのなら、人間は心身共に強くなります。
農業の単純作業も、修行と思うと楽しくなります。
同じ行為を反復することが大きなポイントです。仏教で唱えるマントラもお念仏も反復行為です。一見、頭を使わないような単純作業が、意識変容体験をもたらす上で、とても効果的です。特に大地に触れる農作業は、人間の知恵を目覚めさせる力があると思います。
トルストイの『イワンのばか』や浄土真宗の妙好人(みょうこうにん)は多くが小作農で、大地を耕しながら信仰を深め、賢くなっていきます。一般世間では、高学歴高収入を手に入れるのが成功とされますが、実は神様に一番愛される人は、誠実な労働者です。労働が祈りとなっているからです。
私の青春時代は禅修行しかなかったのですが、禅では座禅という身密はともかく、三密のうちの意密と口密が軽視されています。そこで帰国した50歳頃から、朗々と「ありがとう」と唱えながら坐禅する「ありがとう禅」を始めたのです。その結果、初心者でも神秘体験を持つ人が続出しています。
人間の力と仏の力が融合するときに霊妙不可思議なことが起こり、空海は「道を得れば、通を起こす」と言っています。悟れば、おのずと神通力が出てくるという意味です。私自身には神通力がないのですが、護摩の炎を焦点に仏と人とが結ばれると、常識を超えた現象が起こります。炎には人間の祈りを強める働きがあるからです。
浄土真宗の二種廻向ふうに言えば、往相で仏を呼びにいけば、還相で仏をわが内に連れ戻さなくてはなりません。その瞬間、仏と「同行二人」となった自分が「無限の創造体」であることに気づけば、もっと大胆に行動し、日本社会の停滞を打ち破ることができるのではないか。そこには僧俗の区別もありません。
コロナ禍も自然災害も、人間が進化するための生みの苦しみ以外の何ものでもありません。そこから、高い意識を持つ人たちが生まれてくるはずです。
日本仏教は因果論や亡者供養から脱却して、もっと積極的に「未来からの記憶」をわしづかみし、人間が生きる原動力となるべきと考えているからです。
【メモ】記者は13年前の60歳の時、「2泊3日で1週間の効果がある」と言われ、御殿場のホテルでのありがとう断食セミナーに参加。すると体が敏感になったのか、半年後の健康診断で胃がんが発見され、ステージ1だったので手術で完治した。以来、町田先生と思想的、宗教的に共感しながら「同行二人」している。





