【社説】建国記念の日 皇位継承へ先人たちの苦心


紀元節(きげんせつ)の日(1940年頃)

紀元節(きげんせつ)の日(1940年頃)(Wikipedia:Unknown – Ipponsugiパブリック・ドメイン,による)

 きょうは建国記念の日。初代神武天皇が橿原宮で即位したとされる日である。以来、わが国は権力者や政体が変わっても、皇室を中心として国家を維持し文化を継承してきた。

 この世界にも稀(まれ)な歴史・伝統を守るために先人たちが注いできた努力に思いを致すことが今求められている。

 世襲親王家の大きな役割

 戦前の「紀元節」を戦後に建国記念の日と定めるまでには左翼勢力の激しい反対があり、現在でも反対する人々がいる。その理由は、神武天皇の即位は確かな史実とは認められず、「神話」にすぎないというものだ。

 しかしこの日は、正史である「日本書紀」の記述を基に考証されたものであり、初代天皇が即位した史実なくしてこの記述が生まれるわけはない。その後の歴史に鑑みて初代天皇の即位を国の始まりとするのは極めて妥当なことである。

 建国記念の日に反対する人々は、そもそも国家を敵視し、皇室をわが国の中心とすることに反対なのである。こうした左翼の主張は支持を失ってきたものの、その反国家主義や皇室軽視の毒は今も形を変えて国民の意識に悪影響を及ぼしている。

 時の権力者や政体の変化、国運の隆盛や衰退にかかわらず、わが国は万世一系の天皇を戴(いただ)くことによって統一と安定を保ってきた。先の大戦での敗北後、もし皇室がなかったとすれば、安定した先進国・日本は存在しなかっただろう。

 それを考えれば、皇位継承がいかに重要な課題であるか納得される。昨年暮れに安定的な皇位継承などに関する有識者会議の報告が提出され、「歴代の皇位は例外なく男系で継承されてきた」ことなどを確認するとともに、皇族減少への対策の一つとして、戦後にGHQ(連合国軍総司令部)の圧力で廃された旧宮家の男系男子の皇族との養子縁組などの案が提出された。

 旧宮家の養子縁組や皇籍復帰などは、現代の感覚からは違和感があるとの意見がある。だが、それは皇室の歴史への認識不足からくるものだ。今後、国会などで議論されることになるが、まずは男系維持のために先人たちがどのように苦心してきたかを知る必要がある。特に世襲親王家が果たしてきた役割についてである。

 これまでも皇統の危機は何度か訪れたが、それを救ったのが世襲親王家だった。118代後桃園天皇が皇子のないままに早逝した時、閑院宮3代目の兼仁(ともひと)親王が皇嗣に立てられ光格天皇となった。その血筋は今上天皇に伝わっている。

 徳川幕府も男系継承重視

 閑院宮家は、男系継承維持のために、伏見宮・桂宮・有栖川宮家に加えて創設することを新井白石が建言した。武家政権である徳川幕府のブレーンも男系継承を重視していたことを知ることができる。

 これらの史実、先人の苦心を顧みれば、戦後のGHQによる11宮家廃止が、いかにわが国の歴史や「国のかたち」を無視した暴挙であったかが分かる。絶えることなく続いてきた皇統と歴史の認識をベースに、令和の時代にふさわしい国と皇室の未来を考えるべき時が来ている。

(2月11日 世界日報 社説より)