「平和憲法」信仰の呪縛解け
改憲繰り返す世界各国
内外情勢に応じる柔軟性必要
今国会では、憲法改定に資する国民投票法の改正見送りが伝えられている。野党の反対で審議が遅れ、憲法改正がさらに遠のくことを憂慮している。
言うまでもなく憲法は国家の最高の法典であり、そこには国家の理想や高邁(こうまい)な理念が盛り込まれ、その内容には色濃く民族性が反映されている。現に憲法は国の成り立ち(世界中で望まれる国家の姿、統治者(三権の長)を選出する方法、法の支配、国民が国家に生活の基盤を委ねる信託の在り方)を具現するものである。しかし、同時に憲法には国家が直面する国内外の現実に対応し、国際社会で適応できる柔軟性もまた求められる。そこには理想を追うばかりでなく、現実に力が支配する国際政治の汚ない面にも対応できる必要があろう。
日本国憲法は、ポツダム宣言受諾後に占領下に制定されたもので、押し付け憲法との見方もあるように、わが国の流儀による自主憲法とは言い難い面が多々ある。さらに憲法9条に象徴されるように理想主義的な文言があり、それを「平和憲法」と自称してその呪縛にとらわれるなどの側面もあって、その護持に拘(こだわ)る勢力もあって国論は分かれている。
わが国の憲法では、その改憲手続きには両議院の3分の2の賛成を発動要件とし、国民投票で是非を判定する、というように厳しい条件が付されている。それは米国やドイツと共に「硬性憲法」の部類に属している。ここでドイツ憲法の改憲事例を見ておこう。
ドイツは、第2次世界大戦の敗戦国で、戦後に戦勝国の強い影響下で憲法が制定された事情はわが国と似ている。それでも「ウィキペディア」などによると、ドイツはこれまで60回にわたって改憲を繰り返してきた。周知のようにドイツは戦後に国家を東西に分断され、冷戦時代は東西陣営に分かれていた。そして北大西洋条約機構(NATO)加盟などの安全保障環境の変化への対応が求められ、冷戦後は東西ドイツの統一などの環境の変化が重なった事情はあるにせよ、60回の改憲で延べ120カ条も改定されてきた。ほぼ毎年改定しているようなものである。
ドイツと対照的にわが国の改憲はゼロで、その観点から「世界最古の憲法」と揶揄(やゆ)されてもいる。そこにはそれぞれの国の流儀があり、例えばドイツ憲法の条文の数は146条と日本国憲法の103条(補則含む)と比べて約5割増しであり、個々の条文に「項」が多く、文章が長いという特色がある。また岩波文庫の「世界憲法集第2版」でページ数を比較すると、日本国憲法が27ページなのに、ドイツの憲法は107ページもあると言われ、4倍超のボリュームがあることになる。ドイツ憲法の条項記述が詳細を究める分だけ、情勢変化にその都度対応をしなければならないものと推察できるが、日本のように自ら「平和憲法」として改憲はあたかも悪であるかのごとき、改定観の方に異常性があるのではないか。
それはドイツに限らず、フランス27回、カナダ19回、イタリア16回の憲法改定があり、同じ「硬性憲法」とされるアメリカでも6回の憲法改定が行われている。言うまでもなく憲法は国家の最高法であるが、その改憲に当たっては国民に選択の主権があり、その手続きが民主的に保証されている限り、憲法は「不磨の大典」ではなく、国民生活の上から必要とされる改憲は進歩であり、必要なことである点は再確認されるべきである。
ちなみに、近隣中国の憲法改定の事例を見てみよう。中国は共産党独裁統治の国で、共産党は実質的に全人代や憲法の上に立つ領導権(指導より命令に近い)を有し、改憲も国民の意見を聞くことなく共産党の指導と全人代で決まる、という「硬性憲法」とは真逆にあるが、それでも国内情勢の変化に応じて共産党は法治を唱えながら改憲を反復してきた。
最初の中国人民共和国憲法は、国共内戦に勝利しながら建国宣言までに正式手続きが間に合わないまま中国人民政治協商会議共同綱領(全60カ条)をもって暫定憲法としてきた。そして1954年9月に第1期全人代で初の憲法(全106カ条)が制定された。2回目の改定は70年9月で、毛沢東を建国の父とし「毛沢東思想を高く掲げる」30カ条の憲法に変えている。その後、82年に鄧小平の復活と改革・開放路線が定着する中で、現在の憲法の原型となる138カ条の憲法に全面改定された。「共産党の領導」を前面に出した憲法になり、事後は毎年のように部分的な改定が重ねられている。
中国の憲法改定は、国民審査などのない手続きによるもので、参考にはならないが、習近平国家主席が「法治」を強く求める中で、最高法が社会主義建設の進展や政治情勢の変化を受けて適時に改定されている実態を看過してはなるまい。現に今春の全人代でも、習国家主席の任期を2期までとする第45条を含む30近い条項を改定し、これで習主席の任期の制約はなくなってきた。
わが国も「平和憲法」信仰の呪縛を解いて、国内外の情勢に適応できるよう柔軟に勇気を持って改憲論議を盛り上げる時期に来ているのではないか。
(かやはら・いくお)