浦添市長選を総括する
OKINAWA政治大学校名誉教授 西田 健次郎
堂々と政策主張し大勝利
沖縄の夢を託された松本市長
天晴(あっぱ)れな大勝利だった。
沖縄県浦添市長選の直前に筆者は本欄で、共産党隠しの候補者・伊礼悠記氏の陣営について、まじめな政治団体ではなく、票を集めればよいだけの「選挙屋」で、野合でしかないと厳しく批判した。
浦添市西海岸に2年ほど前にオープンしたサンエーパルコシティ前の広大なサンゴ礁が広がる海浜に那覇軍港を移設させることは、那覇空港の物流センターと合わせて経済振興を生むものであり、アジアを代表する空と海の壮大なロマンを成就させるために必要なプロジェクトだ。そして、西海岸の埋め立て予定地に隣接する米軍キャンプ・キンザーの返還を加速しなければならない。この2点が市長選の1丁目1番地の争点であった。実際、すべてのメディアがそのように報道していた。
市議選も自民全員当選
筆者が常々訴えているのは、リーダーは自治体、県、国、アジア、ひいては世界人類の平和、人権、暮らしの安寧、経済発展、民主主義を構築していく明確な理念・政策を提示すべきだということだ。政治家になるリーダーには、そのことが必然的に求められてきた。
その点、3選を果たした松本哲治市長は相手の悪口を言わず、さわやかな弁舌で堂々と政策を主張し、夢を訴えて大勝利した。県議レベル以上の選挙で、ノンポリ票欲しさに「右でもない、左でもない」と言っていては、リーダーとして信用できない。
前々回2014年の沖縄市議選では、数票差で落選していた市議が、前回18年は同選挙区で唯一自民党公認で出馬し、トップ当選を果たし、次のリーダーとして雄々しく再スタートした。
今回の浦添市長選と同日の市議選も、自民党公認の7人が全員当選し、その中の1人は共産党を抑えてトップ当選した。これで3期目の松本市政を強力にバックアップする体制ができた。
選挙戦を通じて松本陣営は、「市民党」に徹する戦略をアピールしたため、自民党県連と公明党県本部の県議、市町村議員、われわれ関係者など保守同士が表でパフォーマンスする機会が少なく、寂しい気持ちがあったことは否定しない。それでも、隠れ共産党に浦添市と沖縄の未来を委ねる最悪の事態を阻止する、という熱い思いで立ち上がったエネルギーの結果だ。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
筆者は五十余年、県内の政局・選挙の現場に深く関わってきた経験から、「首長は3期が望ましい」と提唱してきた。それ以上になると周囲の声やアドバイスを聞かなくなったため、4期目に敗北した実例がある。
那覇市長、国会議員、県知事を歴任した保守県政史上最大のドン、西銘順治知事が自らの後継者として国会に送った仲村正治(せいじ)氏が現職中にもかかわらず、長男を立候補させた。結果、仲村派の県議5人が自民党を離党し、新生党を結成。全面戦争となった。西銘知事は次の知事選挙に4期目を目指したが、大田昌秀氏に敗れた。
中部地域のドンで沖縄市政3期を担ってきた桑江朝幸(ちょうこう)氏は旧コザ市と美里村が合併した際、新生沖縄市の新庁舎を旧美里村内に建設する覚書(筆者も立会証人)をしたが、市長はその約束を反故(ほご)にし、現庁舎に建設した。4期目の選挙は旧美里村の猛反発により敗北の憂き目を見た。
先日の宮古島市長選は、与党18人、野党4人の構図でありながら、現職の下地敏彦氏が負けてしまった。どこにその事由があるのか、沖縄タイムス(1月20日付)の論評に、いみじくも「下地陣営は順調に見えるが、多選批判の声が渦巻いていたが、もはや下地氏を止められる人は誰もいなかった」とあった。
3期目の陥穽に要注意
リーダーシップと実績のある強いボスにある陥穽(かんせい)だろう。3期目の松本市長は、近未来の沖縄の夢を託されているのだ。周囲の声を聞かなくなることはないと信じつつ、稲穂の箴言(しんげん)のごとく頑張られたし。期待している。
(にしだ・けんじろう)