「憲法の変遷」と日本の安全保障
日本大学名誉教授 小林 宏晨
「非常事態法」の制定を
新法の中に自衛隊位置付け
世界190数カ国の中、自国の安全保障に配慮しない国家は存在しない。カトリックの総本山バチカン市国でさえ、なかんずくスイスのカトリック兵士によって守られている。さらに、日本は周知のごとく憲法と法律に基づいて国家が運営されているので、立憲国家・法治国家と呼ばれている。これに対し、お隣の北朝鮮や中国は、独裁国家あるいは一党独裁国家と呼ばれ、そこの軍は、国軍ではなく、党の軍あるいは独裁者の私兵である。
条文変えず内容を変更
アメリカの対日占領政策の目玉は、日本軍の武装解除と占領軍自らが作成した「平和憲法」の日本政府への強要である。並行してメディアや文部省を通して積極的に平和教育が遂行された。その中心的イデオロギーは、「軍備を持つこと、戦争を遂行することは愚かなこと(WGIP=war guilt informations program)」と看做(みな)すことである。
朝鮮戦争の勃発により在日占領軍の大部分が戦争に参加したので、占領軍最高司令官は日本政府に警察予備隊の創設を勧告(命令)した。さて、我が国の平和憲法の解釈に際してとりわけ注目すべき点は、占領期間中に朝鮮戦争を契機として占領当局の勧告(実質命令)に基づいて制定された予備隊令である。これが契機となって独立直後の1952年に保安隊法が、そして54年には自衛隊法が制定された。つまり占領中に開始された「再軍備」の方向付けが独立後も踏襲されたのだ。
まさに前記の規範制定行為の中に「憲法変遷」の事実が認められる。なお「憲法変遷」とは、憲法の条文を変えることなしに、その内容を根本的に変えることである。これらの一連の行為は、あくまでも執行府および議会の多数が警察予備隊令、保安隊法および自衛隊法の憲法適合性を前提とした規範制定行為であった。
しかも最高裁は現在に至るまで、このような方向、とりわけ自衛隊の存在を違憲と看做さないどころか、日本国家の「無防備」「無抵抗」を明確に否定している。つまり執行機関たる政府と立法機関たる議会の多数による有権解釈が自衛隊を合憲と解釈し、現在に至る。そして最高裁が自衛隊を違憲と解釈するまでは(この蓋然(がいぜん)性は極めて低いが)、自衛隊の合憲性の推定が成り立つ。つまり有権解釈が「憲法の変遷」をもたらしたのだ。
52年の対日講和条約発効によって、日本が国際法的に再び独立した主権国家となった時点が、日本国民の憲法制定権力が自由な自決を行うことを可能にする好機であった。しかしながら、アメリカの初期の占領政策に助けられた日本の左派勢力たる抽象的平和主義勢力が議会で憲法改正に対する拒否勢力として3分の1以上を占め、改正を実質不可能にした。しかも有権解釈に有効な資料を提供することが義務付けられている学理解釈集団の多数派は、独立主権国家となった日本の現実を受け入れず、占領時代の解釈に固執し続けた。
改憲派の論拠はなかんずく自衛隊に正当な憲法上の地位を付与し、国民の生命、財産、自由および領土を守ることを目的として、抑止の維持を義務付けるところにあるといわれる。改憲の意図・目的は正しい。しかしそれには、改憲手続きにおいて国民の承認が得られることが条件となる。
憲法適合性は既に決着
従って、筆者の対案は、改憲に代わって新たな「非常事態法」を制定し、この新法の中に自衛隊を位置付けることである。なぜなら、自衛隊と集団的自衛権適用の憲法適合性については既に決着がついているからである。しかも新法の制定には出席議員の過半数で十分である。
なお占領時代の憲法解釈に固執し続ける学理解釈集団の多数派は、東大法学部が当時もそして現在も圧倒的多数の憲法学者を育成している事実を示しているのみであって、これが必ずしも多数派の主張内容の正しさを保証しているものではない。
(こばやし・ひろあき)