コロナ禍で激発した「遺恨試合」
首相“退陣意向”表明が裏目に
疫病、恨み、嫉(ねた)み、憎しみ、遺恨、私利私欲、悪巧みなど、この世に蔓延(はびこ)る、あらゆる「災い」は、ギリシャ神話に拠(よ)れば、全能の神ゼウスが地上に寄越(よこ)した「パンドラの箱」を開けてしまったせいらしい。現代の世界を覆う差別、貧困、格差、分断から核や細菌兵器、あるいは、神の領域にまで踏み込んだと言われるゲノム解析なども「災い」の類いなのか。長い時を経て「変異」したせいなのか。
いま、新型コロナウイルスに地球は丸ごと汚染されている。大量の感染者に死者も続出している。医療は崩壊、もしくは崩壊寸前に追い込まれ、通勤通学はおろか外出もままならない。国と国との交易、往来も閉ざされ不況は深刻化するばかりである。世界は何世紀も前に戻ってしまった感がある。グローバル化が為(な)す術もなく崩れていく惨状を見るにつけ「パンドラの箱」を開けてしまった愚かさを呪わずにはいられない。
アメリカ大統領ドナルド・トランプは「中国が臭い」と糾弾しているが、犯人究明はともかく、特効薬やワクチンという援軍が現れるまでの間、己の生命力、自制心に頼るしかない。第2次世界大戦後、最大の危機と呼ばれる、このコロナ禍を克服するには、日本では、何よりも宰相・安倍晋三のリーダーシップが頼みの綱なのである。
間の悪いことに、宰相は来年9月の任期満了で退陣する意向を何度も表明してしまっている。永田町の語り部を自認していた竹下登は、生前、「退陣は、ある日ある時、突然に」が口癖だった。一旦、「辞める」と言ってしまえば威令地に堕(お)ちると諭したのである。師と仰いだ佐藤栄作から学んだ帝王学だった。
安倍晋三の本心は分からない。長期政権で疲れ果てたのかもしれない。己の一言で右往左往する自民党内の騒ぎを楽しもうとしたのかもしれない。忠臣を見定めようと目論(もくろ)んだのかもしれない。ロクな後継者しか見当たらないから党則を変えて続投してほしいという空気が醸成してくるのを待つ心算だったのかもしれない。確かに二階俊博(自民党幹事長)、麻生太郎(副総理兼財務大臣)らは「安倍4選」を言い募っている。
その思惑は裏目に出たきらいがある。封じ込めたはずの石破茂(元自民党幹事長)と、東京都知事の小池百合子が頭を擡(もた)げてきてしまった。永田町版「パンドラの箱」である。どちらも安倍晋三にとって不倶戴天(ふぐたいてん)の敵である。地方での石破人気は根強い。「次の宰相」を占う世論調査ではトップの座に立つこともある。「総裁4選」、然(しか)らずんば「岸田文雄への禅譲・院政」戦略には目の上の瘤(こぶ)になる。
小池百合子は細川護熙の日本新党に参画、小沢一郎に身を寄せ、小泉純一郎の「刺客」として名を馳(は)せた。初の女性宰相を狙っていると噂(うわさ)される。通俗小説風に喩(たと)えれば、宰相・小泉純一郎の寵(ちょう)を競ったライバルである。
安倍晋三が震え上がったのは3年前、衆院解散(2017年)に踏み切ろうとした矢先だった。直前の東京都議選で小池百合子率いる「希望の党」が躍進し自民党は惨敗した。勢いに乗った小池百合子が前原誠司率いる「民進党」を「丸呑(の)み」していたら政権交代は必至だったといわれる。だが、小池百合子は「みんなを受け入れる気はさらさらありません」と「排除の論理」を突き付け両党そろって奈落に転落した。おかげで自民党は圧勝した。この時の冷や汗を安倍晋三は忘れてはいない。
石破茂が政権を奪取しても日米同盟に揺らぎはないが、トランプとの絆は危うくなる。「森友学園への国有地払い下げ」「桜を見る会の不明朗な経理」が蒸し返され国政が停滞しかねない。小池百合子が国政復帰すれば待望論が湧く。この女傑が返り咲きを虎視眈々(たんたん)と狙っている話は頻々(ひんぴん)と伝わる。喫緊のコロナ対策でも経済に配慮する安倍晋三と、コロナ封じに躍起になる小池百合子の鞘(さや)当てが火花を散らしている。
安倍晋三という「重し」が軽くなった分、永田町では二階俊博と岸田文雄の角逐も、ポスト安倍を窺う面々の蠢(うごめ)きも露骨になっている。
(文中敬称略)
(政治評論家)