漂う乱世の匂い、自民の負け幅左右する総裁選

政界の風を読むー髙橋利行

髙橋 利行

髙橋 利行氏

 永田町に「乱世」の匂いが漂い始めた。「大乱世」の焦げ臭さも混じる。第一幕は自民党総裁選である。宰相・菅義偉が党を牛耳る幹事長・二階俊博と組んで派閥の領袖(りょうしゅう)連を手懐け再選の地均(じなら)しをしている。だが、その締め付けにもかかわらず岸田文雄という有力な対抗馬を捨て身で出馬させることになってしまった。

 とはいえ、今のところ菅義偉が多くの派閥の支持を集めて再選するらしい。だが、「番狂わせ」は勝負の常である。何しろ的確なコロナ対策を打てない宰相に国民の不満が燻(くす)ぶり続けている。大火にもなりかねない。親分に右へ倣えの政界でも、皆、及び腰である。まして民意に近い党員・党友まで靡(なび)くのか。

 第二幕は総裁選の後、日ならずして行われる衆院選である。これこそが天下分け目の戦いになる。失礼と叱られようが、果たして「菅義偉」で勝てるのか。コロナ感染者数は依然多いままである。内閣支持率は過去最低を更新し続けている。もはや自民党が勝つか負けるかではない。自民党の「負け幅」がいくつで食い止められるかに絞られている。党独自の世論調査でも「50議席減プラスマイナス10」という衝撃的な結果が出ている。70議席減という厳しい予測さえある。良くて30議席減。悲しいことに自民党が勝利を収めるという予測は端(はな)からない。

9都道府県への緊急事態宣言などの延長を決め、記者会見する菅義偉首相=28日午後、首相官邸

9都道府県への緊急事態宣言などの延長を決め、記者会見する菅義偉首相=28日午後、首相官邸

 わずか1年前、自民党には政権党としての自信が漲(みなぎ)っていた。この国を支えている自負も強かった。往々にして「傲慢(ごうまん)」と非難されたにしても、不甲斐ない野党のおかげで、この「一党支配」は未来永劫揺るぎないように見えた。だが、内心では、このような「幸せな時代」がいつまでも続くはずがない。きっと、いつか、「高転び」する。宰相のお膝元の横浜市長選(8月22日投開票)でも宰相の推す候補が惨敗を喫した。相次ぐ躓(つまず)きにXデーの忍び寄る影を感じているのである。

 自民党は衆院で276議席を有している。単純計算では44議席以上失えば単独過半数(233議席)割れとなる。そこまで心配することはなかろうと老獪(ろうかい)な鈴木宗男は指摘する。あの森喜朗でさえ、16%(読売新聞調べでは18・6%)の内閣支持率で過半数を獲得している。なんだかんだ言われても、いま菅義偉は35%を維持している。大体野党は結束できまい。自民党には公明党という強い味方もおれば、日本維新の会という助っ人も見込める。

 自民党が怯(おび)えるには根拠がある。自民党は保守合同(1955年)によって誕生した。立役者の三木武吉は、この大業を成し遂げた後「これで10年はもつじゃろ」と述懐した。現実には10年どころじゃない。今日まで66年のうち①細川護熙・羽田孜②民主党三代――の都合4年1カ月というわずかな期間政権を失っただけで、ずっと政権党であり続けてきた。だが、炯眼(けいがん)の三木武吉は見抜いていた。自民党はいつか頭から腐る。

 怯えに拍車を掛けているのが「小選挙区制」である。鳩山一郎、田中角栄が画策したハトマンダー、カクマンダーは政権を利する工作だった。だが、政治改革(1994年)は「政権交代可能な二大政党」をつくるのが狙いだった。参考にしたのがカナダのケースである。1993年の下院(庶民院)選挙で、与党の進歩保守党(2003年から保守党)は、現有169議席からわずか2議席に転落した。小選挙区制は斯(か)くも凄(すさ)まじい。民意を損なえば天国から地獄に突き落とされるのである。これを怖(おそ)れた日本は激変緩和措置として「比例代表制」を抱き合わせて導入した。

 連立にも全幅の信頼が置けるとは限らない。自公連立は22年の歴史を持っているが、日本維新の会が加わるとなると右と左の股裂きになりかねない。公明党にも国政選のたびに得票数が減少している焦りがある。いつまでも「踏まれても蹴られてもついて行きます下駄の雪」でいいのか。米中冷戦が激化するにつれ、中国に近い公明党には苛立ちも募る。

 1930年に創立された創価学会があと10年で100周年を迎えることも悩みのタネである。慶事だが、なにか劇的なレガシーはないものか。幹部は気を揉(も)んでいる。そういう情勢の中で、万一、自民党が力を失い、公明党の向背に天下がかかった時に、策士・小沢一郎あたりに「総理大臣をやるよ」と囁(ささや)かれたらどうなるか。大臣ひとつで自民党との連立で我慢できるのか。村山富市政権が頭を過(よぎ)ることはないだろうか。

(文中敬称略)

(政治評論家)