危機からの「復元力」、国民の目は節穴ではない

髙橋 利行

政治評論家 髙橋 利行

 長期政権には秘訣(ひけつ)がある。「危機」からの「復元力」を持っていることである。政権には、人生と同じように山もあれば谷もある。嵐に見舞われ崖から滑落、命を失う危険もある。コロナという得体の知れない敵に蹂躙(じゅうりん)されても特効薬はない。せいぜいワクチンで身を守るしかない。緩やかな民主主義国家は、リーダーの見識、国民の意識に頼らざるを得ない。

 「復元力」を占うのは内閣支持率に如(し)くはない。大概の政権は発足時が「絶頂」である。政治に倦(う)んだり不満を募らせたことが政権交代を招いているからである。大した根拠のない期待や公約に惑わされることも多いにしても、新しい政権に期待を紡ぐのが庶民なのである。裏切られれば「落下」するだけである。

 日中国交回復を実現した田中角栄政権の内閣支持率は読売新聞世論調査(以下、数字は読売新聞による)によると60・5%(1972年10月)を記録した。38年にわたる自民党の一党支配に終止符を打った細川護熙政権は71・9%(93年9月)に達した。だが、その後、田中政権の支持率は激減し、細川政権も漸減しどちらも持ち直すことはなかった。

 自民党結党以来、5年を超えた政権は①佐藤栄作(1964年11月~72年7月・在任7年8カ月)②中曽根康弘(82年11月~87年11月・在任5年)③小泉純一郎(2001年4月~06年9月・在任5年5カ月)④安倍晋三(06年9月~07年9月・在任1年、12年12月~20年9月・在任7年8カ月)しかない。

 復元力が際立ったのは小泉純一郎政権である。不評極まりなかった森喜朗の後を受けたせいもあろうが、発足時の内閣支持率は歴代最高の87・1%と断トツに高かった。国民的に人気のあった田中眞紀子を外務大臣に起用した人事も大いに貢献したと言われる。だが、2002年、小泉純一郎は田中眞紀子を更迭する。途端に内閣支持率は46・9%に急落した。ふつうなら万事休すになるところだが、宰相・小泉純一郎は乾坤一擲(けんこんいってき)、ジョージ・ブッシュ米大統領が「悪の枢軸」と非難した北朝鮮に乗り込み、時の金正日総書記に日本人拉致を認めさせた。内閣支持率は66・1%に跳ね上がった。04年には再度訪朝し、拉致被害者の家族5人を帰国させている。この勢いを駆って郵政民営化法案が参院で否決されたのを理由に衆院を解散し自民党を圧勝させた。内閣支持率は62・0%と高止まりした。郵政民営化に反対する議員に「刺客」を次々とぶつけ国民の血を沸かせる劇場型の手法が受けた。以降、小泉純一郎政権は幕を閉じるまで50%台を維持した。

 このパターンには安倍晋三も入る。歴代最長の宰相在任記録を更新したが、民主党政権への失望から復権した時点の内閣支持率は65%だった。東京五輪・パラリンピック招致が決まった時には、さらに2ポイント上がっている。安倍晋三は、それまでの政権が敬遠してきた特定秘密保護法、集団的自衛権容認に舵(かじ)を切り、15年には安全保障関連法を成立させた。さすがに、この時は41%にまで落ち込んでいる。

 ドナルド・トランプがアメリカ大統領に就任すると、「シンゾー株」は上がり61%に回復した。森友・加計学園疑惑に見舞われ東京都議選で自民党が大敗した時には36%まで下落した。この時は小池百合子(東京都知事)が民進党との合流に失敗し、持ち直している。

 佐藤栄作は、沖縄の本土復帰を実現したものの政権末期にドル・ショック、中国の国連加盟に反対する失政が祟(たた)り23・3%に失速した。中曽根康弘は国鉄の分割民営化を断行するなど「高値安定」(升味準之輔)を保った。当人は「仕事をすれば支持率は落ちる」と常々語っていたが、必ずしもそうではない。国民の目は節穴ではない。

 安倍晋三の後を継いだ菅義偉政権は地道な政策を実行しながら「鴻鵠(こうこく)の志(こころざし)」の実現を目指している。だが、それには、猖獗(しょうけつ)を極めているコロナを封じ込め、前政権のお荷物を「断捨離」して「傾きかけた船体」(自民党長老)を立て直さなければならない。発足時の74%から、わずか2カ月半で61%に落ち込んだ内閣支持率を「復元」できるかどうか。長期政権に繋(つな)ぐ鍵となる。

(文中敬称略)

(政治評論家)