ケナンの対中・対日認識を振り返る

東洋学園大学教授 櫻田 淳

中国に疑念と不信の眼差し
日本には能動的要石の役割期待

櫻田 淳

東洋学園大学教授 櫻田 淳

 米中両国の確執の様相が一層、第2次冷戦として定着していく現今の国際政治情勢を前にして、第1次冷戦初期の米国の対ソ連「封じ込め」政策の立案を主導したジョージ・F・ケナン(歴史学者/1947年当時、米国国務省政策立案室長)の思考は、振り返られるに値しよう。

 ケナンは、77年に著した『危険な雲』書中に次のような記述を残している。

対中関与政策を疑問視

 「私は、もっと緻密で高度に政治的な関係を中国と持ちたいと夢みている人びとがいることを知っている。彼らの夢は―ふしぎなことに、数十年前と変わらぬ古風な夢だが―中国人が極東問題だけではなく、世界政治でも米国の偉大な友人、パートナーであるとしている。こうした人びとは、米国が遅滞なくこの夢の実現に行動するのを望んでいる。このような見解の根拠を私は理解できない。中国は世界情勢のうえで、地理的にも歴史的にも米国とはまったく異なった立場を占めている」

 米中国交樹立の僅(わず)かに数年前の時点で、ケナンは、こうした対中認識を示していた。ケナンの対中認識は、米国の対外政策の文脈では長らく「主流」の位置を占めなかった。

 然(しか)るに、2020年7月23日、マイク・ポンペオ(米国国務長官)は、「共産主義・中国と自由世界の未来」と題された演説で、リチャード・M・ニクソン以来の米国歴代政権の対中関与政策を失敗と総括した上で、中国共産党体制それ自体に対する対決姿勢を鮮明に打ち出した。ポンペオ演説は、ケナンの40年近く前の懸念の正しさを認めるものになったのである。

 因(ちな)みに、ケナンは、同書中、日本については次のように記している。

 「米国にとって日米関係とは双方が国際問題でそれぞれ思慮深くかつ役に立つよう振る舞う能力を持っているか否かを試す独特な尺度となっている…。もし、これに成功できないようなら、われわれがどこへ行っても事態は思わしく進まないだろう。日本が戦後そうであり続けたように、今後も極東における米国の地歩の要石であり続けねばならないのは、こうした理由によるのだ。要といっても、受動的ではなく能動的に発現する要石でありしばしば優れた英知を秘めた相談相手となり、われわれが時には導きを、時としては指導性さえも求めて対すべき要石であり続けねばならないのだ」

 1970年代後半にケナンが示した「受動的でなく能動的に発現する要石」としての日本のイメージからは、筆者も甚大な影響を受けてきた。筆者は、日本が米国に「導き」も「指導性」も示すという姿勢にこそ、対米関係で大事なものがあると得心したのである。

 しかしながら、このケナンの期待に沿って日本が動いたのは実質上、中曽根康弘内閣と安倍晋三内閣の2度であったように思われる。そして、安倍晋三(前内閣総理大臣)が対米関係に示した「導き」の具体例こそ、「自由で開かれたインド太平洋」構想であったという評価になるのであろう。この姿勢を続けることができるかが、日本の対米関係、対外政策全般に問われることになる。

戦争経て生じた親密さ

 ケナンは、中国に対しては疑念や不信の眼差(まなざ)しを向けていたのとは対照的に、日本に対しては温かい視線を投げ掛けた。「たいへんな、悲劇的で時には高貴なまでの、ひたむきな良心と義務感を備えている」というのが、ケナンによる日本人評であった。そして、戦後の日米関係における「親密さ」は、戦争を経た経験から生じたというのが、ケナンの認識であった。

(敬称略)

(さくらだ・じゅん)