沖縄は全体主義的閉鎖社会、曽野綾子氏の予言的指摘

歪められた沖縄戦史 慶良間諸島「集団自決」の真実
上原 正稔 (28)

 連載第1回で筆者は、1950年8月15日、沖縄タイムス編『鉄の暴風―現地人による沖縄戦記』によって赤松嘉次大尉と梅澤裕少佐は「集団自決」を命じた「極悪人」であることが暴露され、そのイメージが定着した、と書いた。『鉄の暴風』の第2章「悲劇の離島・集団自決」の著者・伊佐(後に太田と改名)良博氏がその元凶だったが、その後、誰もそれを咎(とが)める者はなかった。しかし、曽野綾子氏が73年、『ある神話の背景』で赤松氏や第3戦隊の隊員らに取材し、太田良博氏の“極悪人赤松嘉次”の神話が音を立てて崩れていったのだ。

平和の礎

沖縄県平和祈念公園の「平和の礎(いしじ)」

 85年4月から5月の有名な「曽野―太田論争」の中で、太田氏は「土俵を間違えた人―曽野綾子氏への反論」(5月1日)でこう述べている。

 <いま、沖縄タイムスに連載されている「沖縄戦日誌」の去る1月20日の記事によると、あの住民玉砕の現場を目撃した米兵の証言がのっている。現場には日本兵が何人かいたようで、米兵はその日本兵から射撃をうけている。どうも、あの玉砕は軍が強要したにおいがある。>

 鼻がきく太田氏は「軍が強要したにおいがする」と書いているが、実はこの記事は3月29日付のニューヨーク・タイムズの記事を4月2日に発表したもので、後で渡嘉敷島で確認すると、アメリカ軍に助けられた住民の中に“日本兵”が割り込んできて、食事を取ろうとしたが、住民が話が違うとつかみかかろうとしたのだが、“日本兵”とは実は、島民の中の防衛隊員だった、というのが事の真相だ。防衛隊員は正規兵と同じく重装備しているからアメリカ兵から見たら“日本兵”と区別がつかなかったのだ。

 曽野氏は「太田氏へのお答え―沖縄戦から未来へ向かって」の最終回でこうつづる。

 <私はかねがね、沖縄という土地が日本のさまざまな思想から隔絶され、特に沖縄にとって口あたりの苦いものは意図的に排除されれる傾向にあるという印象を持っていた。その結果、沖縄は本土に比べれば、一種の全体主義的に統一された思想だけが提示される閉鎖社会だなと思うことが度々あった。これは危険な状況であった。沖縄の2つの新聞が心を合わせれば、世論に大きな指導力を持つ。>

 まさにその通りだ。曽野氏は30年前に沖縄の現状をズバリ予見していたことになる。今、沖縄タイムスと琉球新報という二つの裸の王様が道をゆく。「あっ、王様は裸だ」と叫ぶ少年(筆者のこと)の声は届かない。沖縄の新聞と筆者の熾烈(しれつ)な“戦争”については近いうちに触れることになろう。