沖縄県民こそボランティアを
沖縄大学教授 宮城 能彦
被災地で各地の問題直視
沖縄問題「相対化」する契機に
2011年3月11日の東日本大震災から10年が経(た)った。
10年目の節目ということで、テレビや新聞ラジオではその特集が目白押しである。多くの人があの日あの時を思い出しただろう。そして、被災地の復興の現実に心を痛めると同時に、日本の災害対策の現状にも改めて関心が持たれたと思う。
私が被災地に行けたのは3月11日から2カ月以上経ってから。最初は個人で通っていたが、やがて、私が住む村に地域のボランティア団体があることを知り、それに加わって、5年間、年10回のペースで宮城県と福島県の仮設住宅を訪ねた。
独善的になる可能性も
私たちの活動は、沖縄そばを現地で作って一緒に食べたり、沖縄の漆喰(しっくい)シーサーを一緒に作ったり、沖縄の歌と踊りを一緒に楽しんで交流を図ろうとするものである。しかし、実は、そのボランティアはとても難しい。なぜなら、「交流」を目的とするボランティアは、独善的なものになってしまう可能性が高いからだ。
実際に、多くの仮設住宅で「ボランティアのボランティア」という言葉を実際に聞いた。要するに、「せっかく慰問に来てくれたのだから相手をしてあげなくては悪い。だから、仮説住宅の住民が順番に(ボランティアで)、その歌や踊りを聞いて見てあげる」というのだ。
私たちの活動も、油断するとそういう独り善がりなものになりかねない。
そこで最も力を入れたのは、地元の自治体や社会福祉協議会やボランティア団体との話し合いである。本当に必要とされている所以外に行っても意味はない。かえって迷惑をかけるだけである。
東北での活動が一段落した後は、熊本や広島で同様の活動を行ったが、ここでも、全国から集まって来るボランティアの人々の配置や対応を行っている地域の社会福祉協議会の方々は、かなり疲れているようであった。「せっかく来てくれたのに何の仕事もないので、おたくの団体で何か仕事を与えてもらえませんか」という依頼を受けたこともある。自己完結型で高い能力を持った団体から、身一つで来てしまった人まで、ボランティアにはまさにピンからキリまで。
私たちが、自分たちのボランティア活動に対して、神経質なまでにそういうことを考えるのは、実は、沖縄の団体だからである。「沖縄のために」と称して沖縄で運動している県外からの個人や団体をずっと見てきたからだ。
実は、被災地でいつも考えてしまうのは、沖縄のことである。
仮設住宅のおばあちゃんたちに言われた思い掛けない言葉。
「沖縄も大変なのに、こんな遠い所までありがとうね」
その言葉を聞いて、思わず目が潤んでしまった。と同時に、ここにはとても大切なことがあることに気が付いた。
誰もが知っている沖縄の米軍基地問題。
沖縄の新聞やテレビ・ラジオは、相変わらず「米軍基地を抱えた沖縄の苦しみを本土の人にもっと知らしめるべきだ」と言って拳を振り上げている。去年、コロナの第一波の時も、米軍基地、米兵からの感染をとても恐れていた。
しかし、私は、「沖縄問題を理解してもらう」ための手段として「拳を振り上げる」ことは、もうとっくに限界にきていると思う。これでは、むしろ、沖縄に対して反感を持ってしまう人の方が多くなってしまうのではないか。
それよりは、むしろ、沖縄県民こそ、地震や水害や津波などのいわゆる「被災地」に行って、全国各地のさまざまな問題をこの目で直接見てくる。そして、できることなら、何らかの役に立てることを考え行動に移す。そういったことこそが大切ではないか。
見えてくる解決の糸口
それは、第一に、沖縄問題を「相対化」する視点を持つためである。沖縄で暮らして沖縄の事しか知らなければ、沖縄問題の本質も見えず、「沖縄がどのように見られているか」ということも分からない。
残念なことに、3・11に関して関心を持つ沖縄県民が多いようには私には思えない。私は、沖縄県民が日本中の地域の問題に直接向き合うことによってこそ、沖縄問題解決の糸口が見えてくると思う。10年目の3・11がそういった契機になればと思う。
(みやぎ・よしひこ)