自衛隊配備増強の議論を 地元の雇用生み税収増も
《 沖 縄 時 評 》
危険な石垣住民投票 戦後74年の“節目”に
300×400新しい年を迎えた。今年は御代替わりの年であり、戦後74年という節目の年である。74年という中途半端な数を“節目”としたのには理由がある。共産主義国家ソ連が誕生し、崩壊するまでが74年だったからだ。盤石に見えた突然のソ連崩壊は、欺瞞(ぎまん)に基づき築かれた無理な体制は75年を超えての継続は困難であることを教訓として残した。日本においても連合国軍最高司令部(GHQ)が築いた欺瞞の戦後体制は限界に近づいて来ているはずだ。節目の年に御代替わりが行われることは意味あることと考えたい。新しい御代の始まりは人々の意識も変わる節目だ。戦後体制が突如崩壊する可能性はないとは言えない。否、日本人の手で一刻も早く戦後体制を終わらさなければならない。
しかし「戦後レジームからの脱却」を掲げ、歴代政権により先送りされ続けていた重要法案を次々と成立させてきた安倍政権も、任期が残り少なくなり迷走しているように見える。悲願の憲法改正はほとんど議論されないでいる。むしろ改正入管法や改正水道法など改悪に見える法案を矢継ぎ早に進めている。消費税増税もしかり。その上、中国に接近し、「日中第三国市場協力フォーラム」という看板を掛け替えた「一帯一路」への協力を表明し、52件もの協力覚書にサインした。同盟国の米国が中国と貿易戦争に突入し、世界が「一帯一路」の欺瞞に気が付き、撤退を始めている時に、である。保守陣営は安倍政権が末期にレームダック(死に体)化しないよう注視する必要がある。
◆地域の問題置き去り
一方で、われらが沖縄県の現状を見ると暗澹(あんたん)たる思いに駆られる。ネットの登場以来、IT技術はドッグイヤーと呼ばれるほど進化のスピードはすさまじい。それにもかかわらず、沖縄県では20年以上も進捗(しんちょく)がない政治闘争が繰り返し行われている。そう、辺野古移設問題だ。年が明けても沖縄県内メディアは辺野古移設を問う県民投票の報道一色である。いくらのんびりしている県民性とはいえ、このスピード感のなさ、忍耐強さには驚かされる。
筆者は昨年9月の県知事選挙で辺野古移設については「オワコン」(終わったコンテンツ)であると言及した。しかし、県民が選んだのは辺野古移設反対を掲げた玉城デニー氏だった。この問題に決着をつけないつもりなのか。既に辺野古は護岸工事を終え、土砂投入が進められている。それにもかかわらず法的拘束力がない意味のない県民投票を実施しようとしている。本当に理解に苦しむ。保守陣営も相手の土俵に乗っかってこの話題で持ち切りである。沖縄ではまるで県民投票以外に政治案件がないかのようだ。それぞれの地域にもっと山積みの問題があるだろうに、それらは置き去りに見える。
筆者は米軍基地はいずれは撤去すべきだと思っている。保守を名乗る限りは自分の国は自分で守る気概が必要だ。そういう意味では県知事選で県民が米軍基地反対派の知事を選択すると「沖縄は終わった」とか「県民は売国奴」「左翼」のようなレッテル貼りや批判をする親米保守の主張にはしばし疑問を感じる。沖縄戦で敵として対峙(たいじ)した米軍が戦後74年経(た)っても県内に居座っている。親類縁者の多くを失った沖縄県民の心を思えば反米の感情、米軍基地撤去への思いは多くの県民の悲願であることに鈍感であってはいけない。
とはいえ隣国の脅威が迫っている中、米軍撤退は隣国の悲願でもあることには異論はない。米軍基地撤去を議論するなら自衛隊配備増強の議論も同時にすべきであろう。しかしそんな議論が保守側からも出てこない。反米主義であれ親米主義であれ、自衛隊配備増強は双方一致できる政策のはずだ。反米なら米軍基地撤去は悲願。親米でも米軍基地が今後、子や孫の世代まで永久に沖縄に駐屯することは望まないだろう。米軍跡地に自衛隊を誘致し、県内に陸自の補給処を設ければ地元県民の雇用も多数生まれる。自治体の税収も増える。保守陣営にとっては県外から多くの自衛官が赴任すれば保守票が増えることも予測される。一石二鳥も三鳥も得られる案だ。ただし今すぐは無理だろうから、まずは米軍基地と自衛隊との共用を進めるべきだ。
ちょうど米国も愛国者トランプ氏が大統領である。彼は他国の防衛に自国の若者の血が流され、お金が投入されていることに疑問を持っている。トランプ氏が大統領の間に前述の提案はできないものだろうか。もちろん日米安保は堅持し、米国の核の傘を維持することが前提だ。自主独立の精神を取り戻そう。
そのためにも自衛隊の増強だ。幸い自衛隊に対しては国民の約9割以上が好感を抱いている。自衛隊配備を増強することには反対しにくいはずだ。それでも自衛隊配備反対を叫ぶ勢力があるとすれば、そこには何らかの意図や工作があると判断できる。「自衛隊配備増強」はそのリトマス紙として使えるのだ。保守陣営は左派の望む米軍基地撤去を推し進めながら、自衛隊配備増強を訴えてほしい。
◆安全保障への影響大
そういう意味では県民投票よりも石垣島における自衛隊配備の賛否を問う住民投票の方が危険である。県民投票と同じく法的拘束力はないが、万が一、配備反対が賛成を上回れば自衛隊配備への影響は避けられまい。また数十年という無駄な年月を重ねてしまうかもしれない。
その上、自衛隊配備反対という世論の醸成の影響は国の安全保障の根幹を揺るがしかねない。ここ沖縄では沖縄戦の悲惨さばかりが強調され、自衛戦争すら放棄させようとする教育やメディアの報道が繰り返されている。そのため、いまだに非武装中立の考えを持つ県民も少なからず存在する。
しかし、繰り返すが国民の約9割が親自衛隊である。声が大きいだけの残り約1割の反自衛隊の人たちのための住民投票はやるべきではない。与那国の自衛隊配備の賛否を問う住民投票の際は中学生や永住外国人にまで投票権を与えた。この時は賛成多数となり事なきを得たが、石垣で同じ愚が繰り返されないよう強く望むものである。
知念 章






