軍事同盟・核共有を黙殺、「木を見て森を見ず」の過ち

《 沖 縄 時 評 》

沖縄県、独伊が米国と結ぶ地位協定の実態調査を実施

◆軍事条約も比較検討を

軍事同盟・核共有を黙殺、「木を見て森を見ず」の過ち

沖縄県の地位協定に関する調査報告を報じる3月31日付沖縄タイムス

 沖縄では米軍や軍属による事件があるたびに、日米地位協定が米兵の特権を保証する「不平等協定」との批判が起こり、「沖縄差別」の象徴だと論じられる。

 うるま市の女性暴行殺害事件で那覇地裁は昨年12月、被告の元米兵に無期懲役判決を言い渡し、遺族側が日米地位協定に基づき米側に補償金を請求しているが、米側は被告が米軍に直接雇用されていないとして難色を示している。これも地位協定論議の一つだ。

 こうした問題点を明確化しようと沖縄県は3月末、ドイツとイタリアが米国と結ぶ地位協定の実態調査を実施し、「日米地位協定との差が改めて浮き彫りになった」とする報告書を発表した(沖縄タイムス3月31日付)。

 同紙によると、県は①国内法適用②基地管理権③訓練への関与―などをテーマに、地位協定に当たるボン補足協定(ドイツ)、米伊了解覚書(イタリア)との比較と現地での聞き取り調査を実施した。

 その結果、両国とも米軍の訓練に事前申請を課して飛行を制限。ドイツでは周辺自治体、イタリアでは軍司令官の基地内への立ち入りを認め、ドイツで米軍機事故が発生した際にはドイツが主体的に調査を実施。

 また「騒音軽減委員会」(独)、「地域委員会」(伊)を設置して基地周辺自治体の意見を吸い上げ、米軍が対応していることも明らかになった。県は原則、国内法が適用されない日本とは「大きな違いがある」と総括し今後、日米地位協定の問題点を広く発信し、改定の機運を高めたいとしている。2018年度には研究対象国を広げ、検証を継続する方針だという。

 こうした検証は大いに結構なことだ。ドイツとイタリアは第2次大戦の敗戦国で、米軍が今なお駐留している。それで県は調査したわけだが、地位協定だけをつまみ食いして論じるのは「木を見て森を見ない」の過ちを犯しかねない。

 県が検証を続けるというなら、地位協定の土台となっている「軍事条約」そのものを比較検討しなければ意味がない。ドイツとイタリアと米国の軍事的関わりは日本とは天地の差があるからだ。

 それを明らかにすれば、反米軍基地派にとって「不都合な真実」が浮き彫りになる。それで「軍事条約」に口を閉ざしているなら、それこそ詐欺話法で壮大な税金の無駄遣いだ。このことをはっきりさせるためにドイツとイタリアの軍事事情を見ておこう。

◆駐留米軍はNATO軍

 両国は大戦では米英加などの連合国と戦い、沖縄戦と同様の壮絶な地上戦も経験した。とりわけドイツは徹底抗戦を続けたため、民間人犠牲者は300万人に上ったとされる。終戦当時、米英加の在欧占領部隊は実に470万人に達している(『戦後世界軍事史』原書房)。

 だが、占領から独立へのプロセスが日本とは違っていた。日本のように軍隊を持つ、持たないといった神学論争(9条論議)は起こらなかった。両国はいち早く軍隊を再建。イタリアは1949年の北大西洋条約機構(NATO)結成に加わり、ドイツ(西独)は55年に加盟。それが地位協定の土台となっている。

 同条約は加盟国1カ国への武力攻撃でも全加盟国に対する攻撃と見なし、国連憲章が認める個別的または集団的自衛権を行使し、直ちに攻撃を受けた加盟国を援助するとしている(第5条・共同防衛)。

 つまりNATOは相互的な軍事同盟なのだ。有事にはドイツ軍もイタリア軍もNATO軍の指揮下に入る。米軍がドイツやイタリアに駐留していても単なる外国軍隊でなく、NATO軍という位置付けだ。それに基づきボン補足協定や米伊了解覚書がある。

 もう一つ注目すべきはドイツとイタリアの核政策だ。これもNATOの下にあり、起源は終戦直後にさかのぼる。ソ連は核開発で米国に後れを取ったが、49年に原爆を手に入れ、米国に先駆けて大型弾道ミサイル開発に成功。「鉄のカーテン」(チャーチル英首相)を降ろして東欧諸国を共産化し、その矛先を西欧へ向けた。

 それでNATOが結成されたわけだが、主たる抑止力を米国に依存しているだけで核攻撃への抑止力として十分なのかとの疑問が起こり、イギリスとフランスは核保有の道を選んだ。

 これに対してドイツ(西独)は東側陣営と直接、国境を接していたので当初、核地雷のような固定的核防御戦略を採用しようとしたが実現せず、空軍の戦闘爆撃機の一部が有事の際、米軍が管理している戦術核を装備することにした。

 さらにドイツ、イタリア、ベルギー、オランダは米軍の核兵器を自国内に配備し(米軍が管理)、有事にあってはそれを自国軍のものとして運用する「ニュークリア・シェアリング」(核兵器共有政策)を採用した。米国の「核の傘」に単に入るだけでなく、有事には自ら“核保有国”となって自衛する。今日もなお、核兵器共有政策の下で安全を確保しているのだ。

◆片務的な日米安保条約

 翻って日米同盟はどうか。NATO並みの相互的な軍事同盟では決してない。日米安保条約は前文で「国連憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認」しているにもかかわらず、集団的自衛権の行使を違憲とする見解に立ち、憲法9条に配慮して同条約3条で「憲法の範囲内で防衛力を高める」とする。

 それで米国が外国の攻撃から日本を守るが、日本側には米国を守る義務がない。こんな片務条約だから、ドイツとイタリアの地位協定とは「大きな違い」が出てくるのだ。

 核政策もそうだ。わが国では沖縄返還に際する「密約」(有事の際に米政府が沖縄に核再配備を遅滞なく認める=当時の佐藤栄作首相がニクソン米大統領と約束したとされる)が問題にされたが、ドイツやイタリアから見れば密約でも何でもない当然のものだ。

 従って沖縄県が日米地位協定をドイツとイタリアの協定と比較して不平等だと主張するなら、両国が共産主義(ソ連)の脅威に立ち向かったように共産中国の脅威から目をそらしてはならない。

 その上で、こう主張すべきだ。日米安保条約をNATOと同様の相互的な軍事同盟にせよ、そのために憲法9条を改正し集団的自衛権の行使を保証せよ、核抑止力を確固たるものにするため非核三原則を改め「核の持ち込み」を認めよ―と。

 こういう覚悟を持たないなら、ドイツとイタリアの地位協定と比較して不平等と言うべきでない。地位協定の比較検証を継続するなら、協定のつまみ食いはやめてもらいたい。

 増 記代司