聖徳太子の思想を生活化

西田天香の一燈園生活

燈影学園長 相 大二郎氏に聞く

 日本の伝統思想に基づき、諸宗教の教えから幅広く学びながら、争いのない生き方、社会の実現を目指した西田天香。天香さんが最も尊敬していたのが聖徳太子と仏弟子の維摩(ゆいま)居士である。朝の聖徳太子祭に始まる「一燈園春の集い」の後、天香さんの下で30年以上薫陶を受けてきた一燈園・燈影学園長の相大二郎氏に、天香さんと聖徳太子について伺った。
(聞き手=フリージャーナリスト・多田則明)

衆生病む故に我病む
社会の底辺に降り立て直す

天香さんは聖徳太子を尊敬されています。

相 大二郎氏

 あい・だいじろう 一燈園で生まれ育ち、西田天香の精神を40年以上、体験してきた。一燈園・燈影学園(小・中・高校)の学園長として長く教育に携わり、平成23年「教育者 文部科学大臣表彰」受賞。著書に『いのちって何?』(PHP研究所)がある。

 天香さんは、在家でありながら釈迦の教えの神髄を深く理解していた維摩居士と聖徳太子を、親しい先輩のように尊敬していました。太子を「時代苦を背負った人」と言ったのは、当時、仏教の受容をめぐって蘇我氏と物部氏とが争い、太子も蘇我氏側で出陣していたからでしょう。

 また天香さんはよく「太子は常に底の覚悟をしていた」と語っていました。社会の底辺に降りて、そこから立て直すということでしょう。そうした生き方を、天香さんは一燈園をつくるときにも意識していたと思います。

 山科にある一燈園は、琵琶湖疏水の流れを前に正門を置き、門の西側に「一燈園」、東側に事業を行う「宣光社」を配置しています。この二つは「無」と「有」との関係になり、門を入った先に理想郷としての「天華香洞」があります。

 一燈園は無所有を目的とした「捨てる生活」ですから、そこで暮らす同人たちは人々から信頼され、人々から人や財を預かるようになります。そのために設けられたのが宣光社で、「無」と「有」を正しく扱うことで天華香洞を目指すことができるとしたのです。

 一燈園は無の徹底で、一人ひとりが悟りを開くことが目的ですが、同時に釈迦が「衆生病む故に我病む」(維摩経)と言われたように、周りの苦しみを自分の苦しみとし、解決するのが、人や財を扱う宣光社です。

維摩居士も「不二法門」と、矛盾するものを一つにすると言っています。

 「維摩経」は初期大乗仏典で、戯曲的な展開で旧来仏教を批判し、在家の立場から大乗仏教の軸である「空」の思想を述べています。日本では仏教伝来時から親しまれ、聖徳太子の「三経義疏」の一つ「維摩経義疏」をはじめ多数の注釈書があり、私の大学の卒論のテーマも「維摩経の空思想について」でした。

無と有の関わりをもう少し分かりやすく…。

 一燈園のある山科の土地は昭和3年に近江八幡の西川庄六から預かったもので、その証明として天香さんが考案したのが「帰路頭」です。大晦日(おおみそか)に天香さんはすべてを同人に任せ、夫人と共に「路頭」に帰ります。

 すると同人たちは相談し、元日の朝「天香さんに本年も指導を仰ぎたい」と呼びに行くと、天香さんは一燈園に戻り、もう一年一燈園を預かることになります。これを芝居と見るか、生活の原点を見直す機会と見るかは、一人ひとりの問題です。

 天香さんがいるのは平安神宮で、京都市民は大晦日には八坂神社で除夜の鐘を聞き、おけら火をもらい平安神宮に初詣に行きます。通りには屋台が出てごみが散らかるので、天香さんは一晩中掃除しているのです。

8月の「総路頭」は?

 今度は同人たちが、仕事と持ち物すべてを光友たちに託し、園を出て行きます。近くの諸羽神社で作務をしていると、光友たちは相談して「もう一年同人さんに預かってもらおう」となり、代表が神社に呼びに来ます。

無の心で有を扱うことの訓練ですね。

 それをどう受け止めるかは、一人ひとりの考え方、生き方の問題です。実際、私の兄は総路頭の日に一燈園を出たまま帰って来ませんでした。彼はまだ路頭を続けていることになります。その日の朝、天香さんは「一人の青年が今朝、相談に来て、総路頭を続けたいというので、許可した」と話していました。

 私たち2世にとって、天香さんが在世中に一燈園を離れるのはものすごく勇気が要りました。親たち1世は天香さんを師匠に一燈園で共同生活を始めたのですが、2世たちはたまたまそこで生まれたので、みんな新しい体験をしたいと願っていました。

天香さんが願ったのは人間としての成長でしょうね。

 しかし、育てようとして育つものではありません。命はその人自身が育てるもので、私たちはその環境を整え支援するだけです。人間の成長には「教わる」「伝わる」「気づく」の三つの分野があります。「教わる」ことができるのは「知識」や「技術」で、「価値観」や「人間性」そして「生活習慣」など答えのないものは「伝わる」あるいは「気づく」ことによって身に付きます。

朝の聖徳太子祭では、子供たちがいることで同人たちが真剣になっていました。

 子供たちがいるからこそできることに、どれだけの大人が気づいているかですね。春の集いにしても、前列に子供たちが参加しているから、活気ある光景になっています。

子育ては親育てで、子供を育てることで親が学ぶことがたくさんあります。

 だから天香さんは、教育ではなく「拝育」、子供の光を拝んで育てよと言いました。子供の光を見いだせないと教えることにこだわってしまいます。

親も無に返らないと、子供の光が見えない。

 多くの大人はどん底に降りるのが怖いのです。障害児を持つある母親は、一時はなぜこんな子供が生まれたのかと絶望していたが、そのうち「この子が私を育ててくれている」と気づき、子供が宝物に見えてきたそうです。そこまでいくと親は明るく強くなります。

 保護者たちには、「子供のことを心配するのではなく、心配りをするよう」話しています。心配している間は自分のことしか考えられないのですが、心配りをすると余裕が生まれ、人に優しくなります。