沖縄紙記者は「機関紙記者」? 反対派と行動を共に


沖縄紙記者は「機関紙記者」? 反対派と行動を共に

自らの「信条」ばかり紙面化

 「この取材にはコツがあるからな。コツというより暗黙の了解だ。いいか、俺から離れず、ついて来いよ」

 先輩記者にそう言われて、カメラを肩に掛け現場に向かった。ゲバ棒や火炎ビンがまだ飛び交っていた1970年代のことだ。

 当時、安保闘争が過激化し、デモ隊はしばしば機動隊と衝突した。大概、デモ隊が投石し、それを封じるため機動隊が催涙弾を撃ち込む。だから取材は、最初はデモ隊側で行い、衝突する直前に機動隊側に回る。一見、逃げ回っているようだが、そうでないと投石の標的にされたり、催涙弾を浴びたりして取材どころではなくなる。


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