ロシア下院選、政権与党議席4分の3
低投票率、与党に追い風
投票日前倒し策が奏功
9月18日に投票が行われたロシア下院選(定数450、任期5年)は、政権与党「統一ロシア」が比例区と小選挙区を合わせ、議席の4分の3を超える343議席を獲得し圧勝した。もっともこれは、投票日を12月から9月に前倒しするなどして投票率が下がるよう画策し、組織力で他を圧倒する与党に有利な状況を作り出した結果でもある。
(モスクワ支局)
反プーチン派に政治参加への諦めムードも
統一ロシアは得票率50・20%で比例代表第1党となり、小選挙区でも圧倒的な強さを見せた。比例・小選挙区を合わせ改選前の238議席に105議席を積み増しし、下院の76%に当たる343議席を獲得した。
ロシア共産党は42議席(改選前92)、極右の自由民主党は39議席(同56)、公正なロシアは23議席(同62)と議席を大幅に減らした。もっとも、これら3党はプーチン大統領を支持しており、統一ロシアと合わせ447議席という圧倒的な「翼賛体制」が出現した。
政権を批判する反体制派は、比例代表で議席獲得に必要な5%ラインを超えられなかった。
投票率は47・81%。前回の61・10%から大幅に低下し、1991年のソ連崩壊後最低だった。もっとも、組織力で他を圧倒する統一ロシアにとって、低投票率は有利に働く。ロシアの9月は夏の休暇シーズンがまだ続いている時期であり、都市の住人の中には休暇に出掛けている人々も多い。一方で農村地域は収穫で忙しい。これまで12月に行われていた下院選を9月に前倒ししたことが、与党の圧勝をもたらした一つの理由である。
政治学者らは、チェチェンやダゲスタン、タタルスタン各共和国などロシアの10から15の連邦構成主体を、「特殊な選挙体制ゾーン」と呼んでいる。これらの地域では、首長ら上層部の意向が投票行動に強く影響し、投票率も高い。ロシアの人口の約1割が住んでおり、下院選の投票率が低ければ低いほど、これら地域の投票結果の重みが増す。
実際、これら地域での統一ロシアの得票は圧倒的であり、与党の圧勝を後押しした。
一方、モスクワやサンクトペテルブルクなど大都市に限れば、反体制派のリベラル派野党「ヤブロコ」の得票率は14・5%に達した。しかし、チェチェンやダゲスタンなどでの得票率はゼロだった。結果として得票率は2%に届かず、議席を獲得できなかった。
もっとも、政権に不満を持つ有権者が、積極的にヤブロコなど野党に投票したわけではなさそうだ。かつてロシアの選挙制度には「すべて(の政党・候補者)に反対」との投票項目が存在した。2006年のクラスノダール地方の議会選では、「すべてに反対」の“得票”が65・55%に達した。
その後、「すべてに反対」票の増加を恐れるクレムリンは、同項目を削除する選挙法改正に動いた。ヤブロコなどの得票の多くは、「すべてに反対」項目がなくなった“恩恵”だとの見方が強い。
ロシア共産党は議席を半減させた。理由は明らかだ。かつて政権批判を行っていたジュガーノフ委員長がプーチン大統領支持を打ち出したことで、政権に不満を持つ本来の支持層の離反を招いたからだ。
一方で「ソ連の領土を取り戻す」など過激な発言で知られるジリノフスキー党首率いる自由民主党は、一部の有権者から強い支持を受けており、他の2党に比べれば議席の減少は小幅だった。
投票日の9月への前倒しが、低投票率をもたらした一つの理由であることは間違いない。しかし、それだけがすべてではない。
前回の2011年12月の下院選では、選挙に不正があったとして、直後に数万人規模の抗議デモが発生した。モスクワ中心街のボロトナヤ広場などで行われた抗議デモは「反プーチン・デモ」に発展し、12年3月の大統領選まで続いた。
「反プーチン・デモ」の参加者の多くは、知識人や中産階級の市民だった。彼らの多くがその後、目の当たりにしたのは、ますます強化されるプーチン政権の中央集権化と、「翼賛体制」そのものとなった下院だった。事実上三権分立は存在せず、議会には政権を監視・牽制(けんせい)する能力もその気もないと理解した彼らは政治への参加意欲を失い、投票所に足を運ばなかった。