「学ぶことは楽しい」の復権を

沖縄大学教授 宮城 能彦

強制するから勉強嫌いに
できた時の達成感、誰もが経験

宮城 能彦

沖縄大学教授 宮城 能彦

 小中高校生を持つ母親から相談を受けることがたまにある。ほとんどは、「うちの子がもっと勉強するようになるには、どうしたらいいのでしょうか」という相談である。

 そういう時、私は決まって、「勉強しなさいと言わないことです」というアドバイスをする。しかし、ほぼ百パーセントのお母さんたちは「そんなことしたら、うちの子なんて絶対に勉強しません」と言う。予想通りであるが、果たして本当にそうだろうか?

 母親というのはなぜか絶妙なタイミングで子供に注意するというDNAを持っている。子供が、「さすがにゲームをやり過ぎたのでそろそろ勉強しようかな」と思っている矢先、母親が「いいかげんにゲームをやめて勉強しなさい」と言う。そういう体験は多くの人があると思う。そして、「せっかく自分から進んで勉強しようと思ったのに」とやる気を一気になくしてしまった経験も。

「辛いモノ」と決め付け

 「どうして勉強しなければならないの?」という子供の疑問に多くの大人たちは、「大人になった時に困らないように、今は苦しいかもしれないけど頑張らないといけないのだよ」と答えてしまう。おそらく、そう答えている親も先生も、同じように自分の親や先生に言われたのだろう。

 私は、そういった考えこそが諸悪の根源だと思っている。

 小学校に入ったばかりで勉強を始めて何も分からない子供たちに「勉強は辛いモノ」と決め付けて刷り込みを行う。そして、「将来のために今を犠牲にしなさい」と教える。

 そういえば、お父さんもお母さんも、勉強しているところを見たことがない。読書している姿も見たことがない。「そうか、大人になれば苦しい勉強なんてしなくていいのだ」と、子供たちは親の背中を見て学ぶ。

 本当は、「勉強」は楽しい。学ぶことは楽しい。「不思議だなあ」と思っていたことが分かった時。不思議なことを見つけた時のワクワク感。できないことができるようになった時の達成感。それは誰でも経験しているはずである。本来は、みんな学ぶことが大好きなのだ。

 では、どうして子供は勉強が嫌いになるのか?

 答えは簡単である。強制されるから。しかも、「勉強は辛いけど」と最初から決め付けられて刷り込まれる。

 子供たちが大好きなゲーム。もし、それを強制されたら子供たちは嫌いになると思う。毎日何時間以上ゲームをやること。どこまでクリアできるか、競争させられ、負けると罪悪感を覚え、勝つと優越感を味わう。一部の「強い者」だけがゲームを大好きになり、先生や親に褒められ、多くの子供たちは「今日もゲームをやらなくてはいけない」とため息をつく。

 先日、知り合いの小学生のお母さんが1年生の子供に宿題をさせている場面に遭遇した。

 その指示の細かいこと。確かに、漢字のハネ、トメは大切である。字も丁寧に書いた方が良い。しかし、あまりにも細かな指示ばかりされているその子は、明らかに苦しそうだ。できるだけ楽をしたいという気持ちと母親に怒られたくないという妥協点を一生懸命に探している。

 つまり、勉強はしていないのだ。その子がやっているのは、母親への忖度(そんたく)でしかない。最近の子供たちを見ていると、親や先生の顔色を窺(うかが)ってばかりいる子が目立つ。

 いや、若い人たちも既にそうだ。優等生でお利口さんほど、「何を言えば、何をやれば、先生や親や上司は喜ぶか」が無意識に判断基準になっている。それを強く感じているのは私だけではないと思う。

草の根からの教育改革

 アクティブラーニングとか、体験型学習とか、そういうレベルではない。日本はもっと根本的なことから教育を見直さなければならない。

 その根本とは、「学ぶことは楽しい」の復権である。大人が学ぶ楽しさを味わい、その背中を子供に見せる。「苦しいけど将来のために」ではなく、楽しいから学ぶ。それは決して机上の空論、絵に描いた理想ではない。

 実は、そういう活動を進める組織を今度立ち上げることにした。草の根からの教育改革に挑んでみたいと考えている。

(みやぎ・よしひこ)