トランプ発言を機に 米兵の命と家族にも思いを
トランプ米大統領が、日米同盟破棄は否定したものの、安保条約が片務的で不平等だと強い不満を述べた直後に始まった参院選挙戦。だが世論の関心も政党の議論のテーマでも、外交・安保は2000万円以下だった。
安倍首相の改憲論に対し、共産党は「平和憲法下、戦争で1人も殺さず殺されてもいない。改憲は米軍のため日本人が死ぬ様にすることだ」との超原理主義論をぶつけたが、他の野党は柳に風だった。
政府も、トランプ発言はまあディールの一環だと見なしている様だ。日本も膨大な米軍駐留経費負担その他で協力している。条約が双方に重要という認識は、米政府、議会にも浸透しているはずである。
だが、それはともかく、私たちは背後の一般米国民の心情にもっと敏感になり、血と命の重さに厳粛に向き合うべきではないか。最近この命と金の問題に言及した評論は、田久保忠衛(産経)、櫻井よしこ(週刊新潮)、増記代司(本紙)各氏など少数だけだ。米兵が死んでも気にしないのは、傲慢(ごうまん)ではないか。
日本から見て昨今、相手の国民感情無視の傲慢さが目立つのは、近隣の“覇権主義的膨張大国”や“尊北攘日幕府国”や“飢餓と核とベンツの国”だ。
だが、以前この欄でも少し書いたが、私は90年代初めの湾岸戦争期に米国に駐在し、バブル日本の傲慢を実感した。
湾岸戦争前夜、米国は暗かった。相手のイラク軍は化学兵器も保有し、米軍にも甚大な犠牲が予想され、大量動員で、出産直後の母親予備役兵士も乳飲み子を残し出征した。米国は日本にもシーレーン防護などのため、人と船の派遣を要望したが、自衛隊派遣など問題外の日本は民間に派遣を頼んだ。しかし海員組合が「そんな危ない所へ行けるか」と即拒絶したと伝えられ、米政界・世論の憤りが沸騰した。「米人の母親兵士は戦死して当たり前、日本の海の男は御免だとは何だ。日本は原油海上輸送で最も利益を得ているのに」(今ホルムズ海峡警備有志連合という米提案で、同様の問題が起きる懸念も)
またあのころ、日本の閣僚らが「米国は黒人がいるから経済がダメ」といった発言をし、人種差別の傲慢発言と非難されていた。
米国には当時、米軍ベトナム参戦から20年近く経(た)っても、行方不明の息子の帰還を懸命に待ち続ける「岸壁の母」たちがいた。自宅前にボードを立て「息子出征後何日目」と毎日書きこむ母、夫がいつ帰っても食べられるよう大好物のチョコ・クッキーを冷蔵庫に用意し続ける妻、消息を求め世界を駆け回る母、「夫生存」偽写真詐欺に騙(だま)された妻…家族の思いは米兵も何も万国共通で強いのだ。
辺野古反対を叫びながら、日本が金を払っているから、尖閣でもどこでもいざとなれば米軍が護(まも)って当然と考えるなら、それは傲慢の続きだろう。「平和憲法で死者ゼロ」と誇られても、米国民はそのための楯(たて)となっているのは誰だと反発したくなろう。万一現憲法がノーベル平和賞を受賞したりしても同様だろう。
駐日米軍機事故で米兵が死んでも、地元には事故発生への怒りだけが充満する。死者への弔意も混ぜる方が人間的ではないか。82年に英国とアルゼンチンが戦ったフォークランド戦争で、後者の巡洋艦が撃沈されて323人もの死者が出た時、英議会で「味方でも敵でも、戦死者の家族が流す辛(つら)い涙に違いはない」という議論が展開された。人間的議論に感銘を受けた。
今私たちの相手は敵どころか最重要同盟国だ。ディールとは別に、生命や家族を思いやる心こそ同盟の大事な要素だろう。
(元嘉悦大学教授)