ノートルダム火災は警告
アメリカ保守論壇 M・ティーセン
後退する欧州のキリスト教
軽視される生命への尊厳
イースターの週末、フランスでは依然、800年の歴史を持つパリのノートルダム大聖堂の火災による動揺が続いていた。この大聖堂の崩壊は、欧州全体のキリスト教の後退を象徴するものであり、米国にいる私たちも警告と捉えるべきである。
ノートルダムよりずっと新しく、1864年に建設が始まったボルドーの姉妹教会でのイースター・ミサには、数多くの人々が参席していた。しかし、司祭は説教で、今は日曜礼拝は2回しか行っておらず、過去には7回行われていた時もあったと言っていた。また、15年間で初めて教区内で、誰も司祭に叙階されなかったという。この司祭によると、ボルドーはまだ恵まれていて、20年間、全く叙階が行われていない教区もある。
◇欧州襲う世俗化の波
フランスはかつて、欧州の中でもカトリック教徒の多い国だった。現在、フランス国民の64%は自身をキリスト教徒と考えているが、そのうち定期的に教会に行っているのはわずか5%、毎日祈祷をするという人は10人に1人だ。若い世代は親の世代よりもさらに宗教に無関心だ。
「宗教と科学のためのベネディクト16世センター」の調査によると、フランスの若年成人のうち自身をキリスト教徒と考えるのはわずか26%で、そのうち65%は祈祷をしない。悲しいことだが、欧州全体でも事情は似たようなものだ。10人に1人以上が毎週、礼拝に出席する国は、ポーランド、ポルトガル、アイルランドの3カ国だけということがこの調査で明らかになっている。
米国の状況はそれよりは比較的良好だ。カトリックの39%、福音派の58%が毎週、礼拝に参加、月に数回参加する信徒となるともっと多い。しかし、その数も、若い世代の間で減少傾向にある。(1980年代から2000年代初頭までに生まれた)ミレニアル世代で毎週教会に行くのはわずか11%、月に1、2度なら16%で、その他は年に数回だ。欧州を襲っている世俗化の津波は、大西洋の対岸にまで到達している。
アジアやアフリカでキリスト教徒は増えており、スリランカのように迫害が強まっている所もある。欧米では20世紀に全体主義思想が、社会から神を排斥しようとして、失敗した。今、近代世俗主義がその目的を果たそうとしている。
ヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿はかつて、法王ベネディクト16世となる前の日の説教で「絶対的なものの存在を認めず、自己のエゴと欲望のみを最終的に目指す相対主義の支配」と述べたが、今見ているのはまさにこの相対主義の勝利だ。両方の大陸で、若い世代が結婚を遅らせたり、控えたりし、子供の数は減少している。これは、自己の意識の高まりによって、結婚や家族の核にある犠牲的愛が否定されているからだ。
神を排斥することは、死の文化への道を進むことだ。キリスト教は、すべての生命は尊厳と価値を持つと教える。誰もが神に似せて創られたからだ。
神が存在しないなら、役に立たない命は捨ててもいいということになる。その結果、中絶、安楽死、性目的の人身売買が起き、難民は人間的扱いを受けず、家庭が壊れ、客観的な道徳秩序が失われている。人間が本来持つ尊厳への攻撃が、許容されているだけでなく、必要なもの、時にはいいものとして支持されている。
◇再建めぐり仏で議論
フランスでは今、ノートルダムを元通りに再建すべきか、近代化すべきかをめぐって熱い議論が戦わされている。ルーブル美術館は近代化され、I・M・ペイ氏によるガラスと金属のピラミッドがこの伝統の地に新たに設置された。しかし、ノートルダムを元通りにすべきかどうかという議論は筋違いだ。ノートルダムを訪れる人は多いが、その大部分は、博物館として捉えている。ノートルダムは博物館ではない。そもそもフランスのシンボルでもない。教会だ。それを復活させるには、人々を神に近づけるというその根本的目的そのものを復活させなければならない。
人の心は神を愛するために創られている。ロバート・サラ枢機卿がル・フィガロ紙とのインタビューで語ったように、ノートルダムをのみ込んだ火は「神の愛を回復せよという神からのメッセージだ」。その通りだと思う。熟練の職人がすぐに、一つ一つ石を積み、大聖堂を修復するだろう。
しかし、ボルドーでのイースター・ミサで司祭が言ったように、ノートルダムを真の意味で再建するには、「生ける石…(すなわち)暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを語り伝える(あなたがた)」(新約聖書「ペテロの第一の手紙」2章4~9節)が必要なのだ。
フランスでも米国でも、もっと多くの生ける石が必要だ。
(4月23日)