イスラエルとパレスチナ 育て、融和の心の種と芽
米主導の圧力の結果、朝鮮半島の南北融和は急進展。だがパレスチナは、国連パレスチナ難民救済事業機関への拠出停止その他の米国の圧力に強く反発、対イスラエル融和どころか第3次インティファーダ(民衆蜂起)の懸念すら出ている。
だがそんな嵐の中で、融和と共生のための種や芽の存在によけい注目したくなる。日本でも小さな種は播(ま)かれている。
NPO法人「聖地のこどもを支える会」代表の井上弘子さん(79)が、少々弾んだ声で今年のうれしい成果を語ってくれた。2005年から毎夏イスラエル、パレスチナの青少年を日本に招く「平和の架け橋」運動を続け、広島や東日本大震災被災地などにも招いた。今年も8月に長野で半月間の交流合宿を行った。
成果は、初めて紛争の“主戦場”ガザ地区の青年が参加したことだった。青年はフェイスブックで見て参加を強く希望したが、イスラエルに出る検問所通過ビザが、3カ月待っても出ずじまい。南のエジプトへ回り10日以上も遅れて来日した。だが、とにかくガザとイスラエル間の架け橋が実現したのだった。
他のNPO法人もやっている。PFJ(ピース・フィールド・ジャパン)は、イスラエル、パレスチナ(ヨルダン川西岸地区)の女子高校生各4人に、日本の田舎の里山の平和・共生の文化にふれてもらうプロジェクトを実施している。15年前、PFJの前身の団体がまず親善サッカーから始めた時、私も行ったが、そこでは笑顔だけがはじけていた。
臓器移植の実話も思い起こさずにはいられない。05年に西岸地区で、イスラエル兵の銃撃で殺された12歳のアフメド・ハティブ君の両親の決断。心臓など4臓器がイスラエルのユダヤ人4人、アラブ人2人に移植された。彼の母親は言った。「息子に苦しんでほしくなかった。他の子供にも、なに人であれ苦しんでほしくないのです」
01年、第2次インティファーダの最中のエルサレムで射殺された33歳のパレスチナ人、マゼン・ジューラニさんの臓器はイスラエル人3人に提供され、03年に事故死した11歳のパレスチナ人少年は、イスラエルの子供4人の命を救った。
逆方向では、02年、テルアビブ留学中だった19歳の英国籍ユダヤ人、ヨニ・ジェスナーさんの臓器が、パレスチナ人少女に移植された。彼はガザを支配するイスラム原理主義組織、ハマスによる自爆攻撃の犠牲者だった。
公表されていない移植もかなりあるという。胸を打つ移植の話は、広く長く知られてほしい。
さらに、09年のガザ紛争の際、自宅がイスラエル軍戦車に攻撃され3人の娘と姪(めい)を失った医師、イゼルディン・アブエライシュ氏(63)の活動も思う。その後、憎悪でなく対話・和解・平和をと訴え続け、平和賞などを幾つも受賞した。著書の題名も「私は憎まない」。娘たちを記念し設立した「永久の娘たち基金」の目的も、イスラエル、パレスチナなどの大学で学ぶ女子学生の支援である。その著書がもっと読まれ、彼の話が現地の学校教科書にもっと載ってほしい、と思う。
こうした融和の心の種や芽が成長し実を結ぶために、重要なのはやはり教育と情報の伝播(でんぱ)だろう。以前テレビで、ガザの子供たちに、ハマスがイスラエル国旗を踏んづけるよう教えている場面を見た。そんな教育でない教育である。
安倍首相は先週の国連総会演説で、来年から毎年ガザの小中学校教員約10人を日本に招く計画を公表した。日本政府の事業だと、イスラエルも検問所の妨害などはし難いだろう。この平和教育研修の成果も期待したい。
(元嘉悦大学教授)