戦乱続く中東 ナイチンゲールが泣いている

山田 寛

 2004年5月末、米軍などの「イラク戦争」後も続く戦闘を取材中、武装勢力に惨殺されたビデオジャーナリスト、橋田信介さん(享年61歳)をしのぶ会が、今年も開かれた。彼と縁のテレビ、新聞、出版、写真などの関係者が、幸子夫人を囲んだ。

 イラクでは今、政府軍や米軍主導の有志連合によるモスル奪還作戦が進行中。3年前からこの北部の大都市を主要拠点としてきた過激派組織「イスラム国」(IS)は、防戦に追い込まれているが、激戦と世界一激しいテロとで、国内の混とんと民衆の苦難は13年前と変わらない。

 幸子夫人の話では、モハマド君の状態も変わっていない。

 当時10歳のモハマド君は、首都西方の都市ファルージャで、戦闘に巻き込まれて左目に大けがをし、失明寸前だった。橋田さんは取材に加え、同少年を日本に連れて行き治療を受けさせたいと考え、現地入りしていた。夫人が夫の遺志を継ぎ、日本中から集まった寄付で少年を日本に呼び、目の手術は成功した。

 だが、イラクに帰った彼の左目は、不衛生な環境の中、細菌感染で元に戻り失明してしまったという。

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シリア北部アレッポで、空爆に見舞われた子供を抱えるシリア民間防衛隊(ホワイト・ヘルメッツ)のメンバー=シリア民間防衛隊が提供(EPA=時事)

 一方、寄付の残金の「橋田メモリアル・モハマドくん基金」が口火を切り、日本政府の援助で、ファルージャ母子病院が開設された。

 だが、せっかくの母子病院も、2014年~16年、同市がISに占領された間に破壊され、振り出しに戻ってしまった。

 モスルでも、大病院が軍司令部として使われ、砲爆撃と攻防戦で無残な姿になっている。

 隣国シリアでは、16年12月下旬、政府軍が、北部の最大都市、アレッポの全域を制圧したと発表したが、その前の7月~11月に、ロシア軍と政府軍は、ISとは別の反政府勢力が支配していた同市東部地域にある各病院に、30回以上の猛空爆を行った。その結果、「世界保健機関」によれば、東部の全病院が活動不能に陥った。

 そして先週、「国連児童基金」は、同じ北部のIS本拠地ラッカを巡る攻防戦で、「4万人以上の子供の命が危ない。病院と学校が攻撃され、生命を守るための最も基本的な必需品がなくなりつつある」と訴えた。

 なぜ病院を破壊するのか。紛争当事者のどの側も、病院も何も気にしないのだろう。いや、それを標的とし、攻撃するようにもなっている。

 国際医療救援団体「国境なき医師団」(MSF)が昨年、反政府派支配地域にある医療施設の場所を、シリア政府とロシアに知らせないよう決めたのも、意図的に爆撃される懸念を強めたからだった。あるいは、最近までモスル地域で働いていたMSFの医師が、外国通信にこう語っている。「以前、このMSFジャケットは防弾チョッキの役をしたが、今はこれが標的とされるんだよ」。

 敵方の病院利用を妨げる。敵支配下の民衆の苦難を増大させ、敵をゆさぶる。そんな企図もあるのだろう。

 イスラム過激派には、医療は西洋文明の象徴だから、病院や医療班へのテロも躊躇(ためら)わない。1970年代のカンボジアで超過激な民族共産主義革命を強行したポル・ポト政権も、旧体制腐敗文化の代表として病院や学校を閉鎖し、医師や教員を虐殺したものだった。

 紛争が長引き、医療機関の破壊が進み、戦禍で負傷した民衆の治療が困難になるばかりか、ワクチン投与など地域の保健体制全体が崩れつつある。デング熱など各種感染症が暴れ出す可能性が心配されている。

 ファルージャの病院は、日本の再協力で、「国連開発計画」が再建することになった、という。再破壊されないよう祈りたい。

(元嘉悦大学教授)