平和条約交渉、日露で温度差
日本対外文化協会理事 中澤 孝之
安倍首相は功を焦るな
「加速で合意」と言わぬ露側
ロシアのプーチン大統領は旧臘(きゅうろう)20日、モスクワのワールド・トレード・センターで年末恒例の大型記者会見を開いた。今回は14回目で、昨年3月の大統領選挙で再選を果たし、5月から4期目の大統領として執務を再スタートして初めての大型会見だった。会見を司会したペスコフ大統領報道官によれば、プーチン大統領は会見の準備に数日間要し、その間、各省庁の担当者や専門家からレクチャーを受けたという。
プーチン大統領の回答のうち、日露平和条約についての発言を大統領府サイトから紹介する。
「平和条約を結ぶに当たって、安全保障上の問題は極めて重要だ。日本での米国の軍事的インフラストラクチャー(施設)は既に配備されており、知っての通り、最大規模の米軍基地は何十年も前から沖縄にある。さて、(軍事基地問題での)日本の決定権参加の能力について、われわれには、これは不透明であり、閉ざされている。そうした決定に当たっての日本の主権のレベルを、われわれは知らない。(中略)
平和条約が結ばれた後、何が起きるかわれわれは知らない。が、しかし、この質問への答えがない限り、(領土問題で)いかなる重要な決定も下すのは極めて難しい。もちろん、そこ(日本)にミサイル防衛(MD)システムが配備される計画について、われわれは関心を持っている。私はこの問題について何回も米国側と話し合った。これは防衛兵器ではないとわれわれは考えていることを、私は繰り返したい。(中略)
何ら幻想を抱かず、われわれは全てを理解している。しかし、それにもかかわらず、われわれは日本との平和条約調印に向けて、努力しており、さらに誠意をもって努力するだろう。なぜなら、私は確信しており、安倍首相(訳注・シンゾーとは呼んでいない)も私の確信に同調しているように、現在の状況は正常でないからだ。日本もロシアも、われわれの関係が完全に落ち着くことに関心がある。それは経済的に日本から何かを必要としているからだけではない。われわれの経済は多少なりとも発展しつつある。(以下略)」
質問に立った日本人記者は質問の中で、「日露シンガポール首脳会談で、あなたと安倍氏は…平和条約交渉のプロセスを加速することで合意した」と述べたが、プーチン大統領は回答の中で、この点に触れなかったし、当時ペスコフ報道官も「交渉の加速で合意した」とは一言も言っていない。ロシアのメディアが「加速」という言葉を引用したのは安倍首相の発言としてだけ。当時のロシアの報道を詳細に調べてみると、ペスコフ発言も含めそろって「アクチビザーツィアヤ、つまり(活性化〈活発化〉すること)で合意した」と表現している。要するに、交渉を急ぐのではなく、「活発に議論すること」で合意したというのがロシア側の認識だ。「加速で合意」というのは、あくまで功を焦る安倍首相が日本人記者団に語った言葉。日露は「合意」の認識が全く違っていたことを、強調しておきたい。
念のために、日本外務省の発表文(昨年11月14日)を見ると、「“1956年宣言を基礎として平和条約交渉を加速させる。そのことをプーチン大統領と合意した”ことが発表された」となっており、「加速させる」という方針は日本側が主体となって、プーチン大統領に同意させたニュアンスが強い。いずれにせよ、25回目の日露首脳会談の進展のない結末は、この時点で既に予想されていた。
ロシア大統領府は即日、1月22日のモスクワ首脳会談での、①双方の発言要旨②会談後の記者会見での「プレス声明」―の2本を発信した。①では、2人ともシンガポールでの合意に触れていない。②で安倍首相は「シンガポールで…交渉を加速することで合意した」と自説を繰り返したが、プーチン大統領は、「シンガポールでは56年ソ日共同宣言に基づいた交渉のプロセスを列挙してみることで合意した(訳注・英文では〈共同宣言における交渉のプロセスを基礎とすることで合意した〉)」と述べた。若干ニュアンスの違いはあるものの、露文、英文ともに、プーチン大統領は「加速で合意」とは言っていないのだ。
首脳会談に先立つ1月14日のモスクワでの日露外相会談の後、ラブロフ外相は記者会見の冒頭、「…共同宣言に基づく平和条約の作業を加速する必要性」と述べたが、「シンガポール首脳会談での合意」とは言っていない。同じ発言の中でラブロフ外相は「56年宣言に基づく平和条約交渉の作業を活性化させるとの両首脳の合意」と言明している。
ちなみに、2013年4月に行われた安倍・プーチン会談で平和条約交渉がテーマの一つになり、「両首脳は双方に受け入れ可能な解決策を目指して交渉を加速化させることで一致した」と報じられた。あれから5年半以上経った昨年11月の首脳会談についても「交渉の加速化で合意」と報道され、日露会談についての多くの解説で引用されている。万が一それが事実ならば、安倍首相はじめ日本側が、「合意違反ではないか」とプーチン大統領らロシア側に詰問すべきだが、そんな話は聞いたことがない。
(なかざわ・たかゆき)






