ゲラシモフ露AVN新総裁とは何者か

日本対外文化協会理事 中澤 孝之

三つの軍主要ポストを兼任
「ハイブリッド戦争」の提唱者

中澤 孝之

日本対外文化協会理事 中澤 孝之

 ロシア軍関係者の間で旧臘(きゅうろう)25日から新年を迎えて、ある軍幹部の人事が久しぶりに大きな話題となったと伝えられる。セルゲイ・ショイグ国防相(65)の下、ロシア軍ナンバー2の第1次官で軍参謀総長のワレリー・ゲラシモフ陸軍上級大将(65)が「軍事科学アカデミー(AVN)」の総会で総裁に選ばれた。ロシア国防省機関紙「クラスナヤ・ズベズダ(赤い星)」(1月22日付)は、「軍事科学の発展への推進力」と題するゲラシモフAVN新総裁就任に関する長文の記事を掲載した。

 ゲラシモフ氏は1955年9月、タタールスタン共和国(ソ連時代は自治共和国)の首都カザン生まれ。容貌から見て、出自はタタール人かそのハーフと見られる。73年に地元のカザン・スボロフ軍事学校を卒業し、76年以降、軍歴を続けている。ついでながら、プーチン大統領の信任が特段厚いショイグ国防相は、父トゥバ人(モンゴル系)と母ロシア人のハーフである。

「戦争のルール」を変更

 なお、94年に創設されたAVNは、軍事科学者を結集する場として、また防衛と治安維持の専門家らの研究と討議を促進させる手段として機能している。会員は約3300人。AVNの創設以来、2019年12月に死去するまでの前任総裁は、ロシアの高名な軍事理論家だったマフムート・ガレエフ陸軍将軍。1923年ロシア共和国チェリャビンスク生まれのタタール人で、45年1月に極東軍管区に配転され、第5軍のスタッフに所属。スターリンのソ連による対日戦争(「8月の嵐」作戦)に従軍した経験を持つ。

 さて、ゲラシモフ氏は、「ゲラシモフ・ドクトリン」を提唱したことでも有名な人物。その「ゲラシモフ・ドクトリン」に関しては、巷間(こうかん)、2013年2月に、ゲラシモフ氏自身が書いた論文がそのように名付けられたとの説が広まっていたが、実際は、13年1月のAVN会議での演説で提唱したアイデアであった。

 ゲラシモフ氏は演説の中で要旨、21世紀の戦争の在り方について述べ、戦略的目標を達成するために、軍事的戦術はもちろん、技術的、情報的、外交的、経済的、文化的その他の戦術を平時において組み合わせて、戦争が起きるのだと主張した。これは「戦争のルール」が変わったことを意味し、現在、「ハイブリッド戦争」と呼称されている。14年4月の「ウクライナ危機」とそれに続く「クリミア併合」がその典型といわれている。では、「ゲラシモフ・ドクトリン」という名称はどのようにして生まれたのだろうか。

 実は、ゲラシモフ参謀総長の演説を紹介したロシア誌「軍事産業クーリエ(VPK)」(13年2月27日)に掲載の「予測における科学の価値」というタイトルの記事を読んだ英王立防衛安全保障研究所のマーク・ガレオッティ上級客員研究員が命名したと、同氏自身が明かしたのだ。

 1970年創刊の権威ある米誌「フォーリン・ポリシー(FP)」の2018年3月5日号に「I’m Sorry for Creating the “Gerasimov Doctrine”」と題する記事が掲載された。筆者はガレオッティ氏で、冒頭に「ロシアの悪名高いハイテク軍事戦略について最初に書いたのは私だ。小さな問題が一つある。それ(ドクトリン)は存在しないのだ」と書いた。文中、同氏は「私が『ゲラシモフ・ドクトリン』なる言葉を作った」と記述。「ゲラシモフ氏はタフで優れた参謀総長だが、理論家ではない」とも断言している。

軍への強い影響力発揮

 ゲラシモフ氏は1999年8月から2009年4月までの第2次チェチェン戦争で、指揮官を務めた。12年11月に、国防第1次官兼軍参謀総長に任命された。ゲラシモフ氏はさらに今回、AVN総裁という三つの軍重要ポストを兼任することになった。ゲラシモフ新総裁がロシアの軍事思想と軍事力の発展に関して強い影響力を発揮し続けることは間違いない。

(なかざわ・たかゆき)