復活するロシアの領土回復主義
日本対外文化協会理事 中澤 孝之
狙うはウクライナ東南部
父祖伝来の領土」と露大統領
ロシアのプーチン大統領は旧臘(きゅうろう)19日、恒例の内外の報道関係者を招いた大型記者会見で、ロシアの民族主義者たちが「ノボロシア(新しいロシア)」と呼んでいる地域へのウクライナの所有権に疑問を投げ掛けるとともに、ウクライナ中央部に対しても領土回復主義的な見解を示して、西側のロシア・ウオッチャーたちを驚かせた。
プーチン大統領は2014年、クリミア併合の直後に、「ノボロシア」構想を掲げたことがある。いわゆる「ウクライナ危機」が喧伝(けんでん)されたこともあって、これは長続きしなかったが、大統領は当時、ウクライナの東南部8州から成るロシア保護領を創設しようと狙っていたと見られていた。このうち6州は黒海沿岸に位置している。
「ノボロシア」再び言及
大統領は5年ぶりに改めて、「プリチェルノモリエ(黒海沿岸地域)」という別の呼称を使って、「ノボロシア」のテーマを取り上げたのであった。より正確には、「プリチェルノモリエ」という主題を導入するに当たって、プーチン大統領は14年4月に使った「ノボロシア」という概念を引き合いに出したと言える。
「ノボロシア」は、3度にわたる露土戦争の結果、18世紀末にロシア帝国が制圧した黒海北岸地域を指す歴史的な地名で、ロシア革命後の1922年にこの地域はボリシェビキによってウクライナ・ソビエト共和国の一部になった。プーチン大統領は言う。「ソ連が樹立されたとき、『プリチェルノモリエ』全域とロシア西方地域など、父祖伝来のロシア領土がウクライナに譲渡された。これらの領土はウクライナとは縁もゆかりもなかったものである」と。
大統領の説明では、こうした領土配分はレーニンの発案であった。スターリンは当初、これに抵抗したが、その後、受け入れ、これを実行した。プーチン大統領は2014年4月17日のインタビューで、「(現ウクライナ領の)ハリコフ、ルガンスク、ドネツク、ヘルソン、ムイコラーイウ、オデッサは『ノボロシア』と呼ばれる地域である」と言明。4月に相次いで建国を宣言したドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国は、5月に連邦国家「ノボロシア人民共和国連邦」を結成すると発表した。「ノボロシア」を冠したのは、プーチン政権の意向に沿ったものであったに違いない。しかし、この連邦構想は結局まとまらず、1年足らずのうちに霧散した。15年の1月に、両共和国指導部は連邦構想を断念、5月には構想の凍結を公表した。
一方、「プリチェルノモリエ」という用語は、帝政ロシアからソ連時代を通じ今日に至るまで使われてきた標準的な表現で、地理的にはほぼ「ノボロシア」と重なる。ただし、後者の方は政治的な含みが色濃く反映されているというのが、専門家の見方である。
大統領は5年前に、「ボリシェビキたちはロシアの歴史的な南部領土のかなりの部分をこれら地方の民族的構成も無視して、ソビエト・ウクライナに組み入れた。従って、これが現在のウクライナ南部と東部なのだ」と述べ、「今こそ我々はこれ(問題克服)に取り組まねばならない」と力説。さらに、「我々(ロシア人とウクライナ人)は緊密な隣人同士というだけではない。我々は本質的に、一度ならずも述べてきたように、同じ民族なのだ」と付け加えた。
「同一の民族だ」と強調
クレムリンは14年9月、ウクライナにミンスク停戦合意を署名させた後、「ノボロシア」という政治構想を棚上げした。しかし、それ以降、モスクワは占領地域への支配を強化、その一方で「一つの、同じ民族」というテーゼを構築し、これを黒海沿岸地域にとどまらずウクライナ広範に押し広げようとしていると専門家は見ている。
プーチン大統領は昨年末の記者会見で、「プリチェルノモリエ」に加えて、「ロシアの西方領土」とか「父祖伝来の」といった言葉を使った。これはロシアがウクライナにおいて、領土回復主義的な意図をほのめかしているように思われる。
(なかざわ・たかゆき)