自主憲法制定の悲願忘れるな

NPO法人修学院院長・アジア太平洋交流学会会長 久保田 信之

久保田 信之

その場しのぎの「加憲」
日本の主権は奪われたまま

 安倍晋三首相は、第197臨時国会で、衆参両院の本会議で所信表明演説を行った。その中で、自民党の憲法改正条文案を国会で提示する考えを改めて示し、与野党合意形成に強い意欲を見せた。首相は「政党が具体的な改正案を示すことで、国民の理解を深める努力を重ねていく」と述べ、「与党、野党の政治的立場を超え、できるだけ幅広い合意が得られると確信している」と語り、衆参各院で3分の2以上の賛成を得て行う「改憲発議」に自信をのぞかせた。

 この憲法改正に関する所信表明に対して「行政府の長が、立法府の専権事項であるこの『憲法改正』問題に言及したことは『三権分立の原則』を踏みにじった違法な発言である」と攻撃したのは共産党だが、立法府の一翼を担いながら、憲法の条文を具体的に体系立てて検討し、その成果を披歴して立法府を指導してこなかった責任は感じないのか。

 卑しくも国会に議席を置く者であるならば、具体的な実生活に立った視点で、憲法の条文を、具体的に検討する責任と義務は立法府にあるはずだ。憲法は不磨の大典でもなければ宗教の経典でもない。立法府の怠慢は、厳しく糾弾されて当然ではないか。

 さて、安倍氏が、「憲法改正」に意欲を燃やしている原因は、「自衛隊が国民から尊敬され、広くその存在は認知されているにもかかわらず、『憲法に明記されていない』から『違憲である』と非難され」円満な行政活動が阻害されてきたことにあるようだ。

 「憲法に記載されてないから自衛隊は憲法違反だ」いう憲法学者から突き付けられた無念を晴らすために、「自衛隊の根拠規定を明記する等4項目からなる改憲案を今国会中の衆参両院憲法審査会に提示したい」と意思表明をし「戦争放棄を掲げる9条1項と、戦力不保持を定めた2項を維持したまま3項に自衛隊を明記する」とまで言い切ったのだ。

 われわれは、ここで次のような疑問を呈したい。それは、「憲改正を始動する好機」と判断した根拠に、「国民は自衛隊の存在を高く評価していると判断した」点である。「一般国民は自衛隊の存在を高く評価している」との判断は間違っていない。しかし、自衛隊を「災害救助隊」として認識しているからであって、「自衛隊の最も重要な任務が、外国からの侵略行為を排除する戦闘行為にあり、自衛隊は祖国を守る軍隊だ」と明確に認識しているかは疑問だ。さらに言うならば、安倍氏自身、自衛隊の必要性を、災害時の対応に置き、「自国防衛の戦闘部隊」としての認識は薄いのではないかと疑問視したい。

 これは単なる邪推ではない。「憲法9条1項2項をそのままに第3項自衛隊を明記する」という「思いつき」を、躊躇(ちゅうちょ)することなく言い放っているではないか。「憲法9条に1項、2項を残す」と臆面もなく言い放った彼の歴史認識が問題なのだ。

 改めて言うまでもないことだが、アメリカは、日本を二度と歯向かってこられない「主権のない属国」に据え置くために、国際法を無視して、主権なき占領下の日本に押し付けたのが「占領遂行法」である「日本国憲法」であり、一刻も早く取り払わなければならない屈辱的な産物だ、との認識を確立していた諸先輩が自由民主党の歴史を刻んで来られたのだ。

 長年、「自主憲法制定」に向けて議論を重ねてこられた「改憲派諸先輩」の歴史が自由民主党を支えてきたはずだ。「憲法改正」などといった軽薄なものではない。日本を「主権を保有する独立国家」にする重厚な熱い願いがあったのだ。アメリカに阿(おもね)て、かわいがられるのではなく、アメリカを中心に置いた連合国からの支配・服従から独立すること、真の主権国家として尊敬される日本に再生せんと先人は願い求めたではなかったか。

 今回の「加憲」は、この先人の願いを裏切る「安直で浅はかな、その場しのぎの適応」にすぎない。これでは、必ずや大きな禍根を残すことが明らかだと強く言いたい。

 憲法9条1項を率直に読めば、「日本国の存続を主張して戦う権利を日本人が永久に放棄した」と読めるのだ。「戦力を保持しない」と表明した2項は主権国家であることの放棄だ。

 憲法9条1項、2項の具体例が、日本の国土、上空が「日本の主権下にない」姿だ。日本国の主権が及ばない地区は沖縄地区をはじめ日本中にたくさん存在している。オリンピック開催時には日本上空には多くの航空機が飛来する。しかし、日本の主権が及ばない空域が至る所にあり日本の自由を奪っているのだ。

 トランプ米大統領が初来日した日のことを覚えているであろうか。彼は、日本に足を踏み入れたのではない。アメリカの統治下にある厚木に降り立ち、アメリカ兵に挨拶(あいさつ)をしたのだ。日本国憲法を存続させる限り、日本国の主権は奪われたままなのだ。

 安倍晋三氏に期待しただけに、今回の「加憲論」には怒りを通り過ぎて「失望・落胆」の意を強めている心ある日本人が多いのではあるまいか。

(くぼた・のぶゆき)