「普天間移設」をめぐり、沖縄県知事選の公開討論会で議論が白熱
振興策の予算確保 国との関係で相違
30日投開票の沖縄県知事選に出馬を表明した前宜野湾市長の佐喜真淳氏(54)=自民、公明、維新推薦=と、自由党衆院議員で革新政党・団体が推す玉城デニー氏(58)による公開討論会がこのほど開催された。最大の争点となる普天間飛行場(宜野湾市)の辺野古(名護市)移設問題では、同飛行場の早期返還と危険性除去を求め辺野古移設を事実上容認する佐喜真氏と、代案なき移設反対の玉城氏で大きく意見が分かれた。(那覇支局・豊田 剛)
早期返還、危険性除去を 佐喜真淳氏
基地反対、合理的説明なし 玉城デニー氏
討論会は、日本青年会議所沖縄ブロック協議会が主催したもので、南風原町立中央公民館で行われた。
はじめに、出馬の動機を尋ねられた佐喜真氏は、「政治家としての責任、これからの未来を考える時、流れを考えなければならない」と述べた上で、取り組みたい課題として、「県民の暮らし最優先」で、3年半後に期限を迎える沖縄振興計画を見据え、「県民所得、貧困、学力、失業率、全国的に最下位」などの諸問題解決への決意を語った。
玉城氏は、翁長氏の急逝による新たな人選について、自身を後継候補の一人として期待する「知事の言葉があったのであれば、なかったことにできない」と強調。政治の師匠である自由党の小沢一郎共同代表から「衆院議員を辞めて知事選に臨むことは大変だ」と言われたが、「翁長氏が志半ばで亡くなったことを真摯に受け止めるべきだと思って決断した」と述べた。
基地問題に話題が及ぶと、両者は熱い思いを吐露した。佐喜真氏は、2004年のヘリ墜落、今年発生したヘリ窓枠落下などの事件事故を振り返り「忸怩たる思いだ。市民が常に悩まされている」と訴え、普天間飛行場の「早期返還」と「危険性除去」を訴えた。その上で、「基地による経済損失、時間的ロスがあるが、なかなか光が当たらない。そろそろ返還すべきだ」と述べた。
佐喜真氏が強調したのは返還後の跡地利用だ。15年に返還された市内の西普天間住宅地区について、国際的な医療福祉先端施設の青写真を描いた。在日米軍統合計画の中で普天間飛行場と共に返還される牧港補給庫(浦添市)と那覇軍港の返還後のビジョンに入れて前に進めていくことを約束した。
県が辺野古公有水面の埋め立て承認を撤回したことについて問われると、「これから沖縄と政府で法的争いが始まるが、日本は法治国家だ。造らせない(という主張)はいいことだが、法的に敗訴した場合、どういう形で造らせないか」と玉城氏に問い掛けた。
玉城氏は、「米国の法律に照らすと、辺野古に基地を造れない原因がたくさん明らかになっている」と反対し、知事選や県民投票で問う考えを示した。
玉城氏から「辺野古移設を容認するのか」と問われた佐喜真氏は、「安全保障は国が決めることで地方自治体は外交権限がない。政府が『それしかない』というのに『駄目だ』と言うと(普天間の)固定化を目指しているかのように映る」と述べ、「本来なら玉城氏のような人(国会議員)が努力すればよい」と牽制(けんせい)した。さらに、「玉城氏は、普天間飛行場は『最低でも県外』と約束した民主党にいたが、辺野古に回帰した説明はなく、県民は納得していない」と詰め寄る場面もあった。
これに対して玉城氏は、「鳩山由紀夫首相(当時)と2週間に1度話し合ったが対応が官房長官、秘書官と徐々に代わり会えなくなった。米側の圧力なのか、外務、防衛両相も首相の方向と異なった。鳩山氏も『官僚にだまされた』と発言するように、障害が立ちはだかった」と弁明した。
那覇軍港の浦添沖への移設計画に翁長氏が推進していた事実を基に、那覇軍港の是非を問われると、「那覇軍港は移設協議会の中で議論が進められている。これが行政的には一番確かな手順だ」と述べた。なぜ辺野古には造らせないが浦添は容認するのか、合理的な説明はなかった。
沖縄振興については両者の違いはほとんどない。佐喜真氏は、アジアの市場を見据えたダイナミックな経済戦略を描いた。玉城氏は、仲井真県政から翁長県政に引き継がれた「沖縄県アジア経済戦略構想」で「日本のフロントランナーとして日本全体の経済を引っ張る」と強調した。
問題は財源だ。佐喜真氏は「県民の暮らしのための予算が(仲井真県政時代から)500億余り減額された。予算が消え、公共事業が消え、仕事が消えた」と指摘した上で、政府と交渉する中で財源を引き出し、最大限、県民に還元すると強調した。玉城氏は財源を示さなかった。
=討論会での主な主張=
佐喜真氏 玉 城 氏
普天間飛行場 早期移設 即時閉鎖
辺野古代替施設 法に基づ判断き 反 対
統合リゾート 合意形成必要 反 対
安倍政権の評価 おおむね評価 評価せず







