北方領土は国家主権の問題

ロシア研究家 乾 一宇

安易な妥協は亡国への道
受け入れられぬ「2島返還論」

乾 一宇

ロシア研究家 乾 一宇

 今年の北方領土の日(2月7日)は、大きなニュースにもならずに終わった。

 北方領土問題は、不思議にも日本の選挙の争点にはなっていない。だが、国民が教養と良識ある国会議員を選ばないと国家が内側から崩れ去っていく危険を孕(はら)んでいる。

 日本は、1956年10月、歯舞、色丹島のみの返還で日ソ共同宣言を締結し、平和条約締結やむなしの選択をしようとした。敗戦国として当時、シベリア抑留者約57万人の一日も早い帰還の実現、また国連加盟という喫緊事もあった。

米ソの冷戦が始まり、朝鮮戦争という熱戦を戦った米国は、日ソの和解(二島返還による平和条約締結)を認めず、当時のダレス米国務長官は重光葵外相に占領下にある沖縄返還の未実施を絡め歯舞、色丹島のみの返還を良しとしなかった。

堅持すべき基本的立場

 このときから日本は、北方領土が日本固有の領土であり、四島返還を基本方針とした。領土は主権の及ぶところであり、四島はソ連が終戦後占領してきた不法占拠の地である。千島列島は、日本が軍事的に獲得したものではなく、千島樺太交換条約(1875年)で平和的に話し合い、日本領となった地域である。

 サンフランシスコ条約で樺太や千島列島の権利を放棄したけれども、同条約締結時、吉田茂首相(当時)は北方領土が千島列島の範囲に入らない固有の領土であることを宣明している。

 日本は、ソ連と国交を正常化したが、平和条約は領土問題を解決した後に締結することにした。そして、四島は固有の領土であり、第2次大戦後、ポツダム宣言受諾後、ソ連軍が不法に占領したものだというのが、基本的立場である。この立場を堅持して、日本政府は平和条約交渉をしてきていた。そして「北方領土の日本への帰属が確認されるのであれば、実際の返還の時期および態様については、柔軟に対応する」と表明している。

 ところが、安倍政権になって安倍晋三首相は、ロシアのプーチン大統領と緊密な関係を結び、幾年来解決しない問題を次世代に先送りせずに解決すると大転換した。それは、歯舞、色丹島のみ、あるいはそれをも放棄して平和条約を締結しようという前のめりの姿勢であった。このようなことで平和条約を締結してしまうなら、子孫に対する責任を免れない。

 不法占拠された固有の領土を、「現実主義」の名を借りて二島返還で終わりとすることに対して、小泉政権時、町村信孝外相はラブロフ外相に対し「ロシア側が言う二島の引き渡しによる領土問題の最終的解決については、仮に二島のみの引き渡しで最終決着できたのであれば1956年当時に平和条約が締結されていたはずであり、わが方としては受け入れられるものでない」ことを明言している。今になってロシアに渡すことは戦後半世紀以上、対露交渉で何をしてきたのか、ということになる。

 平和条約は、戦争終了の証しである。締結したなら、戦争で生じた諸々(もろもろ)のことについての継続協議などあり得ず、北方領土問題の「日本の立場を崩さない」との中間的なものは考えられない。

尖閣・竹島も失うことに

 昨今、ロシアは、中国と共に強権的な主張・態度を強めている。そうであればあるほど、この問題は侵されている国家主権の回復であり、外交や安全保障の根幹に関わることを忘れてはならない。主権を放棄する国は衰退を辿(たど)る。国民精神の如何(いかん)により国は興隆もし、滅びもする。もし安易な妥協をするなら、尖閣諸島、竹島も、中国、韓国は日本が譲歩する余地ありと解釈し、同じ運命を辿るだろう。それに続くは、中国による沖縄併合である。

 エリツィン時代に、国境線が択捉島とウルップ島の間にあることを明記して平和条約が締結される可能性があった。領土問題は、何世代もかかって初めて解決される困難なものである。楽観的な精神と至高の精神を以(もっ)て、ロシアの時熟する秋を息長く待とう。

(いぬい・いちう)