「北京2022」への対応を考える秋
東洋学園大学教授 櫻田 淳
「体制の宣伝」利用は明白
西側がボイコットなら日本も
「東京2020」(東京オリンピック・パラリンピック)の開幕まで、3週間を切った。オリンピック・パラリンピックが単なる「スポーツ競技の場」ではなく「国際理解・友好親善の場」であるとするならば、パンデミック最中の「東京2020」は、その意義を持たない催事になりそうである。「東京2020」開催がパンデミックの状況を悪化させることへの懸念は、日本国民各層にあって深い。
筆者は、「東京2020」という催事それ自体には、既に何の思い入れも持たない。筆者が日本の対外戦略上の観点から関心を抱いているのは、「東京2020」よりも、来年2月に予定される「北京2022」の行方である。
固定すべき五輪開催地
実際、去る5月17日、ナンシー・ペロシ(米国連邦議会下院議長)は、「北京2022」へのボイコットを呼び掛ける発言をした。中国共産党体制下、新疆ウイグル自治区での「ジェノサイド(集団虐殺)」の進行や香港での「自由」の圧殺は、ペロシやジョセフ・R・バイデン(米国大統領)のように、特に「人権」重視を掲げてきた米国民主党流の政治伝統には全く相容(い)れるものではない。
ペロシが呼び掛けたように、「北京2022」ボイコットの動きが広がれば、日本にも、それに呼応するか否かを判断する局面が訪れるであろう。「東京2020」の扱いよりは、こちらの対応の方が余程、重要である。
筆者は、寧(むし)ろ、日本が「北京2022」ボイコットに仮に呼応するのであれば、「東京2020」を返上していた方が、後腐れがないかもしれないと考えてきた。
振り返れば、1980年、旧ソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻を機に、ジミー・カーター(当時、米国大統領)が呼び掛けた「モスクワ1980」に際しても、日本はそのボイコットに呼応した。米国を含む「西方世界」諸国との協調が日本の対外政策の前提なのであれば、「北京2022」に際しても、「モスクワ1980」の際に類する対応は、取られるであろうし、また取られなければならないであろう。
そもそも、21世紀に入って以降だけでも、「北京2008」や「ソチ2012」、そして「北京2022」のように、「自由の環境が怪しい所」で3度も催事を開催することを決めている時点で、国際オリンピック委員会(IOC)の見識は、推して知るべし、なのである。
ナチス・ドイツが仕切った「ベルリン1936」以来、中国やロシアに類する権威主義世界でオリンピックのようなイベントを開けば、それが「体制の宣伝」に使われるのは明白である。けれども、何故(なぜ)、IOCはそれを繰り返し許しているのか。
現下、日本国民の大勢が抱く懸念を意に介さないかのようなIOC幹部の姿勢は、IOCという組織だけではなく、オリンピックという催事それ自体の意義に大いなる疑念を投げ掛けている。
オリンピックは、夏季には古式床(ゆか)しくギリシャ・アテネ、冬季にはアルプス山麓にしてピエール・ド・クーベルタンの故国、フランス・グルノーブル辺りで固定して開催すればよいのはないか。
「東京1964」は、第2次世界大戦後の大方の日本人にとっては、「経済の復興」と「国際社会への復帰」を皮膚感覚として察知させた催事であった。「東京1964」以後、二十余年、「経済大国・日本」が頂点を迎え、「国際国家・日本」の大義が模索された1980年代に向って、日本は疾走する。
語られぬ「時代の意義」
然(しか)るに、此度(このたび)の「東京2020」に際しては、そうした「時代の意義」を語る声は、聞かれない。「経済大国・日本」の挫折以後の永(なが)き停滞、そしてオリンピック運動そのものに内包された二重の「惰性」に世人が気付いたのであれば、そこにこそ微(かす)かな希望が見いだされるべきであろうか。
(敬称略)
(さくらだ・じゅん)