北京冬季五輪「外交的ボイコット」を「大国の争い」にすり替える朝日

中国が語る「民主」は独りよがりである。写真は中国天安門。過去民主化を求めるデモ隊は、天安門広場で軍隊によって弾圧された。

世界平和脅かす中国
 「中国の民主」と題する白書を中国が発表した。米国が開催した民主主義サミットに対抗して、「中国には独自の民主がある」とする大々的な宣伝キャンペーンを始めた。

毎日ネット版9日付で外交評論家の宮家邦彦氏が中国の「民主」を読み解こうと原文(中国語)まで掲載して「深読み」を試みたが、結論は「恐るべきトートロジー」だった。トートロジーとは同語反復のことで、「中国の民主とは民主なのである」といった類を指す。要するに、「中国の民主」は意味不明なのだ。

 もっとも共産党が「民主」を掲げるのは目新しいことでない。日本共産党の青年組織は「民主青年同盟」、自らが加わる政権は「民主連合政権」と「民主」を口にする。左派メディアも共産党系団体のことを「民主団体」と書く。共産主義の独善の賜物だ。

 政治学では「参加」と「自由」、つまり普通選挙と言論の自由をもって民主とする。そのいずれも中国にない。産経抄が指摘しているが(7日付)、辞書で民主を引けば「国の主権が人民にあること」と並んで「人民の支配者。君主」(日本国語大辞典)、「中国では古く、民の主すなわち君主の意に用いた」(広辞苑)とある。なるほど中国の民主は共産党が支配者というわけだ。

 言論の自由の有り無しが民主のリトマス紙だ。その意味で今年のノーベル平和賞は意義深い。言論の自由の獲得のために戦っている2人のジャーナリストに与えられた。その一人、ロシアの独立系リベラル紙「ノーバヤ・ガゼータ」編集長のドミトリー・ムラトフ氏はノルウェーで開かれた授賞式での受賞演説で、旧ソ連の物理学者でノーベル平和賞を受賞した故アンドレイ・サハロフ氏の受賞演説を引用している。朝日12日付が掲載していた。

 それは「国際的な信頼や軍縮、そして安全保障は、情報、良心、言論の自由を伴った開かれた社会なくしては考えられません」というもので、ムラトフ氏は「(ジャーナリストは)進歩のための前提条件であり、独裁政治に対する解毒剤」と語っている。

 世界平和には「自由」が欠かせないのだ。だから北京冬季五輪をめぐって中国のジェノサイド(民族抹殺)や人権弾圧に抗議する米国の「外交的ボイコット」は最低限の意思表示だ。サハロフ氏ならはっきり言うだろう、「世界平和を脅かすのは中国だ」と。

東京五輪は強く反対

 ところが、朝日社説は前記の記事とは裏腹に中国にモノが言えない。8日付「五輪と政治 大国の争いと決別を」は、外交的ボイコットについて「国家は、脇役にすぎない。政府関係者の参加の是非は、各国がそれぞれの判断で決めれば良い」と、どうでもよいと言わんばかりに書き、「大国の争い」にすり替えてしまった。自由を守る意志のかけらも感じられない。

 それにしても東京五輪とは打って変わった歯切れの悪さに驚く。東京五輪では「中止の決断を首相に求める」(5月26日付社説)と威勢よく反対論をぶった。「五輪憲章は機会の平等と友情、連帯、フェアプレー、相互理解を求め、人間の尊厳を保つことに重きを置く社会の確立をうたう」とし、コロナ禍での開催は「憲章が空文化しているのは明らか」「それでも五輪を開く意義はどこにあるのか」と凄み、「五輪は政権を維持」するための道具と断じた。

独裁社会への栄養剤

 それを言うなら中国に対してだろう。2008年の北京五輪では聖火リレーが世界を巡っている最中にチベットで宗教や文化が抹殺され、多くの血が流された。それに対するメッセージを発することなく五輪が開催されると、ロシア軍はすかさずグルジア(ジョージア)に侵攻した。

 今回はジェノサイドがチベットのみならずウイグル、南モンゴルへと広がり、香港の自由を奪い、台湾も脅かしている。それでも「大国の争い」と言い張るなら、朝日言論はもはや独裁社会への栄養剤と言うほかない。

(増 記代司)