孔子廟訴訟・控訴審の行方、新主張も那覇市の敗訴必至
《 沖 縄 時 評 》
「琉球の公費」根拠にならず
地裁で原告全面勝訴
4月13日に憲法・政教分離裁判で金城テルさんが那覇市に勝訴した。この裁判は高裁の差し戻し裁判であった。
13日の那覇地裁の判決で、久米至聖廟は「宗教的性格を有する」とし、市による公園の無償貸与は憲法が定める政教分離原則に違反すると認定した。那覇市の使用料免除は無効と認定し、管理する一般社団法人久米崇聖会は宗教団体に当たると評価した。そして、剱持淳子裁判長は那覇市は久米崇聖会に181万円を請求するように命じた。
テルさんの全面勝訴だった。
地裁で憲法違反だとの判決が出された孔子廟裁判であったが、那覇市は福岡高裁那覇支部へ控訴することを27日の臨時議会本会議で決めた。
控訴を議決した時に、自民党、維新、無所属の会の議員の計10人は退席し、残り29人の全議員が控訴に賛成した。圧倒的多数の賛成で控訴が確定したのである。
退席をしたのは自民7人、維新2人、無所属1人であり、それ以外の共産党、ニライ(新風会、社民党、社大党)、公明党などが控訴に賛成した。
控訴する那覇市側は「至聖廟は教養施設で宗教的施設ではない」と改めて主張する方針であるという。地裁が「一般公開されていない」と事実認定した啓聖祠(けいせいし)は市民や観光客に公開されていると主張するという。しかし、その主張は一審と同じ主張であるから高裁で那覇市の主張が認められることはあり得ない。
那覇市にも新たな主張はあるようである。
一審判決で宗教的な儀式とした「釋奠祭禮」は琉球王府が公費で賄う国家的祭礼だったという歴史的な側面を根拠にして宗教ではないと主張する方針だという。
那覇市の新しい主張というのが「釋奠(せきてん)祭禮(さいれい)」が琉球王府の公費で賄っていた国家的祭礼だったから宗教ではないという理屈である。琉球王府が公費で賄っていたから宗教ではないと那覇市が考えているのならその考えは決定的に間違っている。琉球王府が公費で賄っていたから宗教ではないとは言えないのだ。
琉球王府は政教分離をしていない宗教国家であった。琉球王府のような封建時代は宗教と政治は一体であった。琉球王府の祭事の多くは宗教と密接に関係していたのだ。だから琉球王府が公費を出費したからといって宗教ではないという根拠にはならない。むしろ、逆に宗教であるという根拠になってしまうのだ。
政教一体であった封建時代の国家と政教分離の戦後の議会制民主主義国家との本質的な違いを理解していないのが那覇市である。
控訴に賛成した29人の議員は封建時代の琉球王府の士族の亡霊ではないだろうかと苦笑するしかない。
◆北海道で違憲の判例
2004年に北海道の砂川市で政教分離の憲法違反をしているとの訴訟があり、憲法裁判が起こった。
問題となった空知太(そらちぶと)神社は市が町内会に対し、市有地を神社に無償貸与していた。敷地内は鳥居が建てられ、また、町内館会館内部に祠(ほこら)が建てられた。
地裁・高裁共に違憲と判断した。
最高裁も小学校の敷地拡張に協力した住民への感謝の意、そして公共的な意味合いで始まったものとしても、市が特定の宗教団体に便宜を図っていると一般人の目線から見て判断されてもやむを得ないものであり、前述の過去と勘案しても、日本国憲法の定める政教分離の原則に反していると地裁・高裁と同じように違憲と判断した。
那覇市は憲法違反ではないと主張しているが空知太神社を参考にすれば孔子廟裁判は高裁、最高裁でも憲法違反の判決が下されるのは確実である。金城テルさんが高裁でも完全勝利するのは間違いない。
◆意味不明の反対運動
一方、キャンプ・シュワブでは辺野古飛行場建設反対派の虚(むな)しい運動が続いている。
沖縄平和運動センターの山城博治議長は、2年前の16年1月に、米軍キャンプ・シュワブの旧ゲート前にコンクリート製のブロック1000個余を「表現の自由」というあまりにも身勝手な理由を根拠にして積み上げた。それは表現の自由ではなく工事車両の進入を封鎖するための暴力行為であった。これにはびっくりしたし、あきれ果てた。
山城博治議長は、「(大規模に結集する)水曜行動、木曜行動以外で完璧に工事を止めたのは初めてだ」と堂々と演説し、ゲート前の反対派に鼓舞して見せた。反対運動が過激になり、機動隊を圧倒していくと見られていたが、実際は逆の方向に進んでいった。反対運動に参加する人たちは増えるのではなく減っていった。
山城議長は逮捕されて拘置所に入れられ、那覇地裁の一審で。懲役2年、執行猶予3年の判決が下された。今ではブロックの壁を造り機動隊を威嚇する山城議長の勇ましい姿をキャンプ・シュワブでは見られなくなった。
辺野古飛行場建設阻止を選挙公約に掲げて名護市長選挙に立候補した稲嶺前市長と補欠議員立候補のヘリ基地反対協共同代表の安次富氏は落選した。それも大差で落選した。
埋め立てで大浦湾が汚染されると名護市民が信じていたら稲嶺前市長と安次富共同代表は当選していただろう。しかし、名護市民は飛行場建設反対派の嘘に騙されなかった。だから、2人に投票しない市民が圧倒的に多かった。
辺野古飛行場建設を阻止することはできないことを反対派も分かってきた。だから反対派は阻止することを諦めながら諦めないという奇妙な反対運動を続けていて、意味不明のことを言うようになってきた。
「諦めないことこそが私たちの闘いで、勝つ秘訣(ひけつ)」
勝つには工事を阻止する以外にはない。しかし、工事は着実に進んでいる。工事を止めることはできない。工事を止めることはできないのに勝つことができるのか。勝つことができるはずはない。反対派は敗北に向かって運動しているだけなのだ。ところが彼らは、諦めなければ勝つというのである。勝てるはずがないのに勝つというのはどういう勝ち方なのだろうか。意味不明である。
「団結すれば必ず勝てるという基礎を、闘いの中でつくり上げてきた」
護岸工事は着実に進んでいる。反対派は敗北に敗北を続けている。勝てる可能性はない。それなのに勝てる基礎はつくったというのである。これもまた意味不明である。彼らは夢遊病になっているのではないだろうか。
(小説家・又吉 康隆)