不透明な自動車産業の未来

米コラムニスト ジョージ・ウィル

技術革新で新車種開発
規制したがる監督機関

ジョージ・ウィル

 鉄を曲げ、メッキを施し、20世紀の米国を魅了した自信に満ちた、ステータスの象徴としての自動車。その自動車産業は、ゼネラル・モーターズ(GM)に代表されるオールドエコノミーの代名詞のような存在だった。GMの倒産すらも米経済の反映だった。そして今、GMのメアリー・パーラCEOは、すぐにニューエコノミー時代の自動車が造られるようになると豪語した。この自動車に盛り込まれる技術は、ほんの10年前に誕生したスマートフォンに魅了され、そこからある種の自信のようなものを得てきた現在の消費者の感性や期待に応えられるものでなければならない。

 手動のクランクに代わってGMはセルモーターを開発した。これは、20世紀最大の技術革新だった。1912年のことだ。今では、先進GPS(全地球測位システム)マッピングを利用した自動運転が開発され、キャデラックに搭載されている。運転席の前には視線を追跡するカメラが取り付けられ、ドライバーが寝ていないかを監視する。ドライバーの注意が運転から逸(そ)れていると、運転に集中するよう要求する。素晴らしい技術的だが、うっとうしいと言えばうっとうしい。現在の消費者の要求と、将来に向けた性能への要求との間には大きな相違がある。パーラ氏は斬新な発想で、両者の間のバランスを取ろうとしている。だが実際には、消費者主導に否定的な監督機関が、その将来を決めることになる。

◇「衝突事故ゼロ」へ

 中国は、時期は未定だが、英国、フランスと同様、化石燃料で動く自動車の販売を禁止することを発表した(電気自動車を動かす電気の大部分は、化石燃料で造ったものだ)。これに対しパーラ氏は9月半ばに上海で、「何で動く自動車に乗るかは、強制したり、政府が押し付けたりするのでなく消費者が決めるべきだ」と反論した。しかし、政府は、独裁政権でなくても、規制したがるものであり、企業はそれに従うしかない。GMの中国での販売台数は、米国よりも多い。昨年、約120万台のビュイックが販売され、そのうちの約100万台は中国だった。中国のエリート層は、共産化される何十年も前からこの車に乗っていた。さらに、中国で生産される車の数は、米国と日本を合わせたよりも多い。GMは、1年半以内に2種類の新型電気自動車の販売を開始し、2023年までに20車種に増やすことを表明している。GMの幹部の一人は、「電気自動車の利用を増やし、受け入れられるようにしていく」と話した。しかし、それを監督するのは政府機関だ。連邦政府からの助成がなければテスラ社の時価総額が、これほど短期間にGMを超えることはなかったはずだ。

 パーラ氏は、そう遠くない将来に「衝突事故ゼロ」「排ガスゼロ」「渋滞ゼロ」は実現できると考えている。衝突事故はソフトウエアで防止できるという。車による死亡事故率はこの数年間で初めて上昇したが、衝突事故の94%は人的ミスが原因だ。排ガスゼロは、車の排気管からの排出ゼロだが、完全電気自動車化が実現すると、排ガスの大部分は発電所の煙突から排出されることになる。渋滞ゼロは、配車サービスやカーシェアが増え、個人所有の車と都市部の駐車場が減ることで実現できる。

◇電気自動車に投資

 フォードも、電気、半自動、ドライバーレス、カーシェアの実現を目指している。2年前、電気自動車に45億ドルを投資すると発表した。だが、電気自動車は、政府による税控除による助成にもかかわらず、米国の自動車販売の1%にすぎない。その資金を調達するためにフォードは、乗用車の予算から70億ドルを、需要が多いスポーツ用多目的車(SUV)とトラックに振り向ける。ピックアップトラックのFシリーズは1982年以降、米国内でのベストセラーだ。

 自動車産業は、輝いていた過去と不透明な未来の間で揺れている。不透明な未来といえば、かつてヘンリー・フォードは、消費者にどんな乗り物が欲しいかと尋ねることから始めていれば、「早い馬」が欲しいといわれていただろうと話したとされている。フォードは実際に自動車を造り、息子の名前エドセルの名を付けた。

 パーラ氏は「自動車は開発に時間がかかる」と指摘、自宅で仕事や買い物をすることが増え、休暇で外出することが減っている大衆向けに、将来を見据えた自動車を開発することを目指している。米国の自動車文化への強烈な情熱は冷め、高校3年生の運転免許保有率は、1978年以降、88%から73%に低下した。58年に誕生したシボレー・インパラのような大型乗用車は絶滅危惧種だ。自動車会社は、将来は販売台数ではなく、走行距離が重要な指標になると考え、備えている。

 父親は39年間、ポンティアックの金型を造っていたというパーラ氏(55)。カーディーラーが新型車の初披露前に、顧客の興奮を高めようとショールームの窓を紙で覆っていたことを覚えているという。パーラ氏は、スマートカーなのだからもっとスマートな方法を取りたいと考えている。顧客は、これほど早くスマートフォンなしの生活が考えられなくなるとは思っていなかった人々だ。06年にはスマートフォンの出現は想像もできなかった。

(10月12日)