深刻化する北朝鮮の核開発
米コラムニスト ジョージ・ウィル
「戦争に」と米大統領警告
核兵器の使用も検討か
米空軍の「探知機」が1949年の9月3日、カムチャツカ半島沖で大気のサンプルを収集していた。放射線を検出して、戦禍のソ連が核兵器の実験を行ったことを確認するためだ。ソ連はこの年の8月29日に実験を行ったが、実験はもっと先になるとみられていた。
1945年7月16日のニューメキシコ州アラモゴードでの実験で、核爆発の基本技術が確立されてから72年がたつ。北朝鮮が誕生したのはその3年後だ。弾道ミサイル技術は60年以上の歴史を持つ。ミサイルに搭載するために弾頭を小型化し、弾頭を標的まで到達できるようにするための困難はあったが、核兵器の保有を決心した国を思いとどまらせることはなかった。核保有国パキスタンなどは、一人当たりの国民所得は2000ドル以下だが、その困難を克服した。
◇予想以上の開発速度
北朝鮮も核を保有し、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の開発を予想以上の速さで進めている。米国の訴えには全く耳を貸さない。1月2日、次期大統領のドナルド・トランプ氏はさっそく攻撃を始め、北朝鮮が宣言したICBMの試験発射は「起きない」とツイートした。だが発射された。さらに北朝鮮は、日本上空にミサイルを通過させるという大胆な行動を取った。これは、ティラーソン国務長官が北朝鮮の「自制」をたたえた7日後だった。
平壌の発する「シグナル」には、難解な解釈など必要ない。核兵器の保有を望み、エコノミスト誌が指摘したように、世界は、実のある交渉は期待できず、貧弱な制裁強化では納得せず、恐ろしい先制攻撃は受け入れがたいと考えている。三つ目の先制攻撃に関しては、先制戦争と予防戦争の間に明確な境界線はない。前者は、はっきりと目前にある危機に対する自衛行動に当たる。これによって、差し迫っているとある程度の確度で予想された攻撃を撃退する。後者は、この場合は攻撃の予測に基づく行動であり、はっきりと目前にある危機の出現を未然に防ぐためのものだ。
トランプ氏は「世界が見たこともないような火力と怒りに直面する」と北朝鮮を威嚇した。これは、核兵器の使用も辞さないということだろうか。北朝鮮に関してこのようなことが検討されたことがかつてあった。ダグラス・マッカーサー元帥は、命令違反でハリー・トルーマン大統領に解任されたが、ドワイト・アイゼンハワー次期大統領に宛てた覚書で「敵国北朝鮮から軍隊を排除する」方法について説明した。その内容は「北朝鮮軍の部隊、施設を原爆で攻撃し、核の副産物である放射性物質を適度にまき散らして、敵の主要な補給、通信ラインを絶つことで、これを達成できる」というものだった。
マッカーサーは、アイゼンハワーをまったく誤解していた。アイゼンハワーの伝記作家ジーン・エドワード・スミスによると、アイゼンハワーは1945年7月17日から8月2日まで行われたポツダム会談中にアラモゴードの核実験について知らされ、このとき初めてこの新兵器について知った。スミスは「アイゼンハワーはがくぜんとしていた」「会談の出席者の中でこの爆弾の使用に反対したのはアイゼンハワーだけだった」と述べている。
「アイゼンハワーは大統領任期中に二度、国家安全保障会議と統合参謀本部から原爆の使用の勧告を受けたようだ。一度目はベトナム。ディエンビエンフーのフランス人を守るため。二度目は中国。台湾海峡危機の時だった。アイゼンハワーはどちらの勧告も拒否した。元最高司令官として実行する自信はあった。これほど自信を持っていた大統領は他にいなかったはずだ。アイゼンハワーが使用を拒否したことで、間違いなく、原爆使用のハードルは引き上げられた。米国はその遺産をずっと享受している」
◇効果的な核拡散防止
しかし、これはいつまで続くだろうか。核拡散防止体制は驚くほど効果を上げている。1960年の大統領選挙戦中、ジョン・ケネディは、1975年までに「10か15、または20」カ国が核保有国になる「兆候」があると指摘した。任期中に、1975年までに20カ国が保有しているかもしれないと述べた。しかし現在、北朝鮮が9カ国目となり、米国が北朝鮮に対する強固な抑止力を築かなければ、日本、韓国、台湾がこれに続く可能性がある。米大統領への現在の信頼性はそれほど高くない。
リンゼー・グラハム上院議員は8月1日、トランプ氏が、北朝鮮が米国に到達可能なICBMの開発を続ければ「戦争になる」と述べたことを明らかにした。トランプ氏は3日、「北朝鮮を攻撃するのか」という質問に「いずれ分かる」と答えた。
議会は、戦争に関する憲法上の権限が縮小され、ただ事後通告を待つだけの存在になってしまっているようだ。11月8日の大統領選から8カ月、あの日に対する代償は、これまではそれほど深刻ではなかったが、急に、トランプ氏に票を投じた6298万4825人の有権者が思っていた以上に重大なものになった。だが、これはある程度予測できたことだった。
(9月7日)






