正恩氏が軽自動車に乗る日

北の子がアフリカの子に並ぶ

山田 寛

 

 国連の北朝鮮常駐調整官が先月、北朝鮮人口の43%が食料・水不足だとし、約134億円の緊急人道援助拠出を訴えた。直後、国連北朝鮮制裁専門家パネルが、北の広範な経済制裁逃れを指摘し、金正恩朝鮮労働党委員長愛用のロールスロイス、ベンツ、レクサスなどの超高級車、高級車は、明白な制裁決議違反かその疑いありと例証した。レクサスは高級幹部らに下賜したが、自身も一昨年、米軍の「斬首作戦」を警戒、目くらましに乗っていたという。

 北朝鮮は制裁が国民経済と暮らしを妨げているとし、米朝会談で解除を要求した。だが、その米朝首脳会談が行われたハノイでは、大デレゲーションが最高級ホテルの最上の6フロア全部を占拠した。

 核+超高級車と豪華大名旅行では、制裁外の緊急人道援助の集まりが悪くても仕方ない。

 正恩氏側近には「国際的支持を獲得し、国内でも人民の困難に寄り添う元帥様として人気を高めるパフォーマンスが大事。車や旅行のランク、規模を少し下げてはどうか」と進言する者はいないのか。

 皆無だろう。不興を買い粛清されたら大変だ。

 1970年代のカンボジアのポル・ポト革命政権のフー・ニム情報相粛清を思い出す。当時王宮に軟禁されていたシアヌーク元国王の回想録によれば、ポル・ポトは指導者たちにベンツを割り当てたが、フー・ニムだけはそれを断り古いジープを乗り回した。ポル・ポトはそれを「個人的人気取り」と憎悪し、粛清の一因となった。

 儒教の流れを引く北朝鮮では、為政者はあくまで民とは別世界にいるべきなのか。以前、北朝鮮とアフリカを視察団で訪れたが、車列が地方道脇の子供たちの前を通過した時の反応の違いが印象的だった。

 北朝鮮では、無表情で立ったまま通過を眺めていた。どんな車列も別世界に属し、動かずに見送る習慣なのか。アフリカは、車列に笑いかけ、手を振り、これぞ子供の反応だった。

 欧米にも反応の違いはある。ニューヨークとパリの雑踏の中を、キャデラックとベンツで徐行した経験を持つ元日本大使の話では、ニューヨークでは「自分も頑張っていつかこんな車に乗りたい」という“ドリーム視線”、より階層的社会のパリでは、「ちぇっ邪魔だなあ」の軽い反発を感じたとか。だが夢も反発も人間的反応だ。北朝鮮の子供はいつアフリカの子供になれるだろうか。

 大名旅行では、やはり70~80年代のビルマ(現ミャンマー)のネ・ウィン大統領を思い出す。日本の元駐ビルマ大使が同大統領を清廉な人物と賞賛している本を読んだが、現地に行くと、半鎖国主義の最貧国で首都の大病院にも医薬品がろくにない。清廉大統領自身は毎年一族郎党を伴い、スイスに長期滞在の健康チェック旅行である。結局88年に国民の恨みが沸騰、退陣に追い込まれた。

 燃費節減に目覚め、小型車や軽自動車で走る正恩氏の姿を見てみたい。身の安全が心配なら防弾装備付き軽自動車だ。国内に進言者が皆無なら国際社会が意識転換を働きかけるほかない。

 だから、文在寅・韓国大統領の様に、喜色満面で正恩氏と制裁違反車で平壌をパレードしていてはダメだ。米朝首脳会談の旅行は実のところ、昨年と今年2月の2回ともシンガポール、ベトナム、中国などが大きな部分を負担したという。ノーベル平和賞を受賞した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)までが負担を申し出たりした。アゴアシ付き大名旅行もまだ、制裁効果を減じ、北の「自己中・甘え・別世界」体質を助長しただけの様である。

(元嘉悦大学教授)