「包括的性教育」の危険、小学から避妊方法教える


自民が軽視する「性革命」、党内で価値観の違いが表面化

 深刻化する児童虐待、いじめ、子供の貧困などへの対応策として、政府が2023年度の設置を目指す行政組織「こども家庭庁」をめぐり、自民党内で価値観の違いが表面化している。子供政策の基本理念における保守派とリベラル派の対立だ。

かつて都立擁護学校の性教育に使用されていた不適材教材

かつて都立擁護学校の性教育に使用されていた不適材教材

 同党が今月4日に開いた「『こども・若者』輝く未来実現会議」では、「左派の考え方だ。恣意(しい)的運用や暴走の心配があり、誤った子供中心主義にならないか」(山谷えり子元拉致問題担当相)のほか、「マルクス主義思想がある」との声も出たという。

 保守派議員が警戒心をあらわにしたのは、第三者機関「コミッショナー」を法案に盛り込むことについてだ。行政機関に勧告する強力な権限を持つことが想定されることから、「恣意的運用や暴走」が懸念されている。しかし、これだけでは子供政策と左翼思想の関係は分かりにくいかもしれない。

 月刊誌3月号の中で、麗澤大学大学院客員教授・高橋史朗が子供政策に関し、学校における性教育の問題を取り上げている(「社会的混乱を狙う『グローバル性革命』」=「正論」)。

 その中で、高橋は「左翼肝いりの政策」である「包括的性教育」や「幼児期からのジェンダー平等教育」が、政府の「こども政策の推進に係わる有識者会議」で提唱されていることを紹介。実際に導入されれば「深刻な対立や混乱、軋轢が避けられない」と警告する。

 りっしんべん(心)に生と書く「性」についての考え方には、その人間の生き方や価値観が凝縮して反映する。性教育を題材にすると、その根底にある理念が鮮明になるから、高橋の論考は子供政策と左翼思想の関わりを考える上で非常に意義がある。まず包括的性教育の内容から見ていこう。

 その歴史は1991年、米国の民間団体「アメリカ性情報・教育評議会」(SIECUS)がガイドラインを刊行したことに始まる。2009年には、ユネスコが中心となり「国際セクシャリティ教育ガイダンス」を制作。日本では、民間教育団体「“人間と性”教育研究協議会」代表幹事、浅井春夫らが邦訳しており、それは筆者の手元にもある。

 高橋は包括的性教育を支える7要素を次のようにまとめている。①ジェンダーと性の違い②性と生殖に関する健康とHIV③性的権利と性的市民権④楽しさ⑤男女に対する様々な種類の暴力探究⑥多様性への肯定的な視野⑦異なる関係――だ。

 これを見ると、三つの特徴があることが分かる。一つは、性規範や「男らしさ」「女らしさ」などは社会的・文化的に構築されたものと捉えるジェンダー理論。二つ目は性交渉をいつ・誰(異性か同性かを問わない)とするかだけでなく自分の性も自由に決めていいとする「性の自己決定権」。そして多様性に対する寛容を重視する姿勢。これらは現在のLGBT(性的少数者)運動にも共通するリベラルな考え方だ。

 「包括的」というだけあって、幅広い視点から性を考えるイメージだが、その具体的内容を見ると、その過激さに驚かされる。

 政府の「こども政策の推進に係わる有識者会議」に提出された資料を見ると、包括的性教育の項目がある。その中で、「国際セクシャリティ教育ガイダンス」からの抜粋として、生殖についての年齢別学習目標を挙げ、5~8歳で「赤ちゃんがどこから来るのか説明」、9~12歳で「妊娠・避妊の説明 避妊方法の確認」などとしている。

 そればかりか、高橋はガブリエル・クビー著『グローバル性革命』にある包括的性教育についての記述を紹介。0~4歳で「裸の状態と身体の同一性を探究する権利がある」ことを教わり、4~6歳で「自慰行為を教わる」というのだ。

 この性教育は一応、年齢・成長に即して行われることを謳(うた)っている。しかし、ジェンダー理論からすれば、無垢(むく)の子供たちがバイアスのかかった保護者らの影響を受ける前に、“科学的”で“正しい”知識を与えられるべきだとなるから、必然、その性教育は低年齢から始まる。それにしても、幼稚園児に自慰行為を、そして小学生には避妊方法を教えることに対しては、よほどの過激思想を持った人間以外、誰も「適切」と思わないはずだ。包括的性教育で「グローバル性革命」を狙っていると指摘しても大げさではないだろう。

 さらに問題なのは、高橋も指摘するように、この過激な左翼思想を背景にした子供政策が実施されることに対する警戒感が、自民党の中でも乏しいことだ。同党の山田太郎と自見英子(はなこ)の両参議院議員が中心となって開いている「Children Firstの子ども行政のあり方勉強会」は昨年5月、「こども庁創設に向けた第二次提言」をまとめた。その中では、検討すべき仕組みにとして「こどもコミッショナー」を、また新行政組織に必要な機能の一つとして「包括的性教育をする機能」を挙げている。

 では、学校に包括的性教育を導入した地域では何が起きているのか。論考の中で、高橋は早稲田大学地域・地域間研究機構次席研究員、千葉美奈の論文「学校教育におけるリプロダクティブ・ライツをめぐる論争―性教育をめぐる対立の要因―」の内容を紹介している。筆者もそれを読んだ。

 包括的性教育発症の地・米国の事例を研究しまとめた千葉の論文は、推進する学校と禁欲的性教育を支持する保護者との間で「対立」が生まれたことを指摘しているが、リベラル思想とキリスト教信仰との対立と言い換えることもできるだろう。

 禁欲的性教育について、千葉は「結婚までの性的な活動の節制を促進し、結婚するまでは性交渉を行わないことが10代の若者が取り得る唯一の選択肢であると教え、避妊やより安全な性交渉に関する教育や議論を実施しないアプローチ」と説明する。

 また、「リプロダクティブ・ライツ」(性と生殖に関する権利)をめぐる推進派と否定派の対立もある。これは1994年に、エジプト・カイロで開催された人口会議で提唱された概念で、「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」と、「健康と権利」を抱き合わせた形で使われることが多い。日本の男女共同参画局も早くから「リプロダクティブ・ヘルス/ライツに関する意識を広く社会に浸透させ」とその推進に力を入れている。日本ではほとんど問題視されない概念だが、特に「ライツ」になると、女性の人工妊娠中絶権の是非をめぐるリベラル派とキリスト教保守派の対立となるので、これも極めて米国的だ。

 千葉の論文の中で、筆者が特に注目したのは、前出のSIECUSの共同創設者カルデローンが包括的性教育を実施する学校を「社会の改革者」として捉え、「性教育は単なる健康促進のための教育ではなく、社会改革の手段」と位置付けていた事実だ。だから、学校だけでなく、その性教育を受けた子供にも社会改革を推進する役割を期待するとともに、学校や教師は「社会の変化を信じない大人たちから子どもを連れだし、変化についていけるように教育しなければならない」としている。これでは、学校と保護者が対立するわけである。

 このような包括的性教育に込められた狙いを知ると、政府や自民党で検討されている子供政策に「性革命」の画策を読み取ったとしても決して妄想とは言えないだろう。(敬称略)

編集委員 森田 清策