「こども庁」への疑念、権利の主体は左翼理念
社会混乱に警戒感欠く自民党
思想史家の渡辺京二はその名著『逝きし世の面影』で、1877年(明治10年)に来日し、大森貝塚(東京都品川区)を発見したことで知られる米国の動物学者エドワード・S・モースの次の言葉を紹介している。
「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい」
渡辺はモースのほか、英国人の旅行家イザベラ・バードらの同じような感想を紹介している。彼ら西洋人から見た明治の日本はまさに「子どもの楽園」だった。今から140年以上の前の“逝きし世の面影”とはいえ、少子化、児童虐待、自殺、貧困・教育格差など子供に関する問題が噴出する現在の日本とのあまりの違いようは、日本人にとっても衝撃的ですらある。
前述した子供に関する問題を改善するための諸施策の司令塔として「こども庁」を創設する論議が進んでいる。当初は来年度中に発足する予定だった。しかし、子供にまつわる問題にはさまざまな要素が複雑に絡み合い、所管する省庁が複数にまたがっていることから、業務移管などの調整に時間が必要。新たな行政組織の発足は2023年度以降にずれ込みそうだ。
子供に関する問題が深刻化する一方の状況を見れば、縦割り行政を打破してこの課題に一元的に取り組むことの必要性を否定する人はいないだろう。しかし、問題は、こども庁創設の理念である。麗澤大学大学院客員教授で、本紙「ビューポイント」執筆者の高橋史朗は、創設論議に「基本理念の徹底審議が欠落」していると疑念を呈している(「左翼政策『こども庁』実現めざすのか」=「正論」12月号)。
当初案は「子ども家庭庁」が名称だった。「家庭」が削除されたことに象徴されるように、家庭と子供が切り離されてしまった。また、本来保護の対象であるはずの子供を「権利行使の主体」と捉える左派理念によって創設されようとしている。そんな理念からこども庁が創設されれば家庭と社会構造の解体に向かう。高橋はこう指摘して警鐘を鳴らす。
「世界中で、両親を敬愛し老年者を尊敬すること、日本の子供に如くものはない」。『逝きし世の面影』は、モースのこんな言葉も紹介している。つまり、かつて西欧人たちが見た「子どもの楽園」の背景には、健全な親子関係や子供たちを見守る地域社会の絆があった。
だからといって、「あの時代に戻ろう」と主張する政治家はいないだろうし、こども庁の創設目的をそこに置くことは非現実的だ。しかし、子供は家庭と地域社会との関わりの中で育つことはいつの時代も同じだ。従って、児童虐待をはじめ子供にまつわるさまざまな問題は、それらの再生と結び付けて改善を図るべきなのだが、現在のこども庁論議はそれに逆行している、と筆者の目にも映る。では、日本の家庭や社会に深刻な事態を引き起こす危険な理念はどこから出てきたのか。
自民党の中で、こども庁の創設に熱心に取り組んでいるのは山田太郎、自見英子(はなこ)の両参議院議員だ。この「太郎とはなこ」コンビはこども庁創設に向けて共同事務所を設立するとともに、今年2月、「Children Firstの子ども行政のあり方勉強会」を発足させる熱の入れようだ。
この勉強会が5月にまとめた第2次提言は、こども庁について「子どもの権利を基盤とし子どもの権利条約を包括的に取り扱う組織でなければならない」と謳(うた)っている。子どもの権利条約は1989年に国連総会で採択され、90年に発効。日本は94年に批准している。
高橋によれば、国連子どもの権利委員会から出された対日勧告への対処として、こども庁の設置のほか、子ども基本法の制定などが導き出されたのだ。問題はこの対日勧告にある。つまり、日本の左派NGOや反政府、反権力団体、その関係者らが「自分たちの左翼的な主張を国連に持ち込んでは、国連が勧告を出す。すると日本国内には『国連も問題視しているのだ』という状況が生まれ」、政府に対応を迫るという“マッチポンプ”のような構図の中から出てきたのがこども庁である。
人権問題に関する国連勧告と左派NGOとの関連性の深さは「強制連行」「体罰禁止「性的指向及び性別認識差別」など、ことごとく左派のマターで勧告されてきていることを挙げれば十分理解できるだろう。その上、高橋によれば、こども庁の設置についての国連勧告では、日教組本部と同じ住所に事務所を置く「子どもの人権連」と部落解放同盟系の「反差別国際運動日本委員会」が意見書を提出しているのだから、両者の関連性は否定しようがない。
ユニセフは、子どもの権利条約について「子どもの基本的人権を国際的に保障するために定められた条約。18歳未満の児童(子ども)を権利をもつ主体と位置づけ、おとなと同様ひとりの人間としての人権を認めるとともに、成長の過程で特別な保護や配慮が必要な子どもならではの権利も定めている」と説明する。
この文言だけを見ると、左派NGOや人権活動家などが主張するように、この条約は子供を大人並みの「権利行使の主体」と捉え方ているかのように思える。この考え方から出てきたのが「性の自己決定権」、つまり「セックスするかしないかを自分で決める権利」「自分の服装・髪型は自分で決める権利」などで、もしこの理念でこども庁が創設されれば、子供の権利主張は際限なく拡大する恐れが強まるだろう。
だが、高橋はこうした条約の解釈は左派によって歪(ゆが)められたものだとして、注意を促す。その根拠としては、条約の12条に「児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮される」とあることや、波多野里望(りぼう)学習院大教授が「児童の権利条約は決して、国内法体系のバランスを崩してまで、子どもの権利を突出させることを締結国に要求するものではない」(『逐条解説・児童の権利条約』有斐閣)と釘(くぎ)を刺していることを挙げている。国際法学者の波多野は国際人権小委員会の委員として条約の起草に間接的に関わっている(八木秀次著『反「人権」宣言』)。
不思議なのは、左派NGOなどによって、あたかも子どもの人権条約が子供を大人と同じ「権利行使の主体」としているかのように歪められたまま進むこども庁創設論議について、自民党から疑問の声が上がらないことだ。自民党はかつて、男女共同参画社会基本法の前文に入った「性別にかかわりなく」という文言に込められた「ジェンダーフリー思想」の狙いに気付かずに基本法を成立させ、男女の性差否定や過激な性教育推進の法的根拠を与えた苦い経験がある。
元首相の安倍晋三は自民党幹事長当時、「基本法には暴走を生み出すDNAが埋め込まれている」と語った。自民党が高橋の警鐘に耳を貸さなければ、子供を「権利行使の主体」という暴走DNAを埋め込んだままこども庁は創設されることになる。(敬称略)





