東京五輪の評価、左翼理論に染まる「多様性」
左派の反対論を痛烈に批判、朝日は「二重基準」と安倍氏
東京五輪が閉幕した後の編集だったこともあり、論壇誌10月号は東京五輪を総評する論考が目立つ。コロナ禍という非常時に開催された東京五輪から、今後のあるべき姿を模索する論考がある中で、印象的なのは「大成功」と大会開催を高く評価する保守系月刊誌が五輪に反対したリベラル・左派のメディアや知識人を痛烈に批判していることだ。
(「Hanada」)の総力特集「ありがとう! 東京五輪」はそのタイトルだけで、企画の趣旨が読み取れる。その一つ、ブロガーの藤原かずえの論考「東京五輪を貶めた蓮舫、青木理、坂上忍……」は、「こんな五輪が歴史的にあったか。日本の差別・人権・歴史認識の問題が次々に噴出した」との、テレビ番組における青木の発言などを例に挙げながら、「五輪という国民の心のレガシーになる絶好の機会は、五輪を偏狭な政権批判のために政治利用した勢力によって妨害」されたと非難した。
一方、「WiLL」は、政治学者の岩田温と評論家の白川司を対談させた(「五輪にケチをつけたリベラルバカ」)。岩田は五輪中止を主張したリベラル派を大きく二つのパターンに分けた。一つは「いざ五輪が開幕したら手のひらを返して応援した人たち」。もう一つは「最後まで中止論を貫いた人たち」。そして、前者の代表は朝日新聞や立憲民主党で、後者は共産党と分析した。
それを受けて、白川は「中止の決断を首相に求める」と、社説(5月26日付)で書いた朝日が「群を抜いてヒドかった」とバッサリ。朝日は感染拡大と酷暑を理由に中止を求めたが、それなら、なぜ「夏の甲子園」を主催したのか、「二重基準(ダブルスタンダード)、ここに極まれり!」というわけだ。
朝日の二重基準については、前首相、安倍晋三も「WiLL」に寄せた論考「TOKYO五輪、金メダルものです!」で述べている。コロナの感染拡大防止に心血を注いだアスリート、運営関係者、医療従事者らの「日本の努力を称賛する海外メディアの報道などを見て、本当に嬉しい気持ちに」なったとする一方で、国内メディアに対しては苦言を呈した。その代表が朝日だ。
白川と同じく、社説で首相に中止決断を求めながら「五輪のオフィシャルスポンサーから降りることもなく、選手たちの活躍を大々的に報じ」たことの矛盾を突いた。加えて、これも白川と同じ論理から、高校野球を主催したのは二重基準だと断じた。長く続く安倍と朝日とのバトルを考慮したとしても、「一連の五輪報道を通じて、国民の多くが朝日の報道姿勢に違和感、疑問を覚えたはず」という指摘は説得力を持つ。
さらに、安倍は史上最多のメダルを獲得した選手たちの活躍や、白血病を告白した水泳の池江璃花子選手の「奇跡の復活」などを挙げて「感無量」と、「政権を挙げての五輪招致を決断」した当人の率直な思いを伝えている。
それとともに、「感動を分かち合うことで、日本国民の絆(きずな)はいっそう強固なものとなります。思い出の共有はアイデンティティに向き合い、日本人としての誇りを形成するうえでも欠かせない要素です」と、保守派政治家らしい心情を吐露している。
一方、来年の北京五輪との関連で、リベラル派を批判したのは福井県立大学教授(国際政治学)の島田洋一(「バッハIOC会長とヒロシマ」=「WiLL」)。バッハ国際オリンピック委員会(IOC)会長が県の要請で広島を訪れたことについて、地元紙が警備費という些末(さまつ)な問題に拘(こだわ)っただけでなく、バッハ会長がスピーチで核兵器の廃絶に触れなかったことや、松井一実広島市長らが五輪開催中の8月6日に選手たちに黙祷を呼び掛けるようIOCに要請したが、実現しなかったことを挙げて、不満を記したという。
バッハ会長の広島訪問についての地元紙や政治家の反応について、島田は「事前の訪問によって、ある程度『ヒロシマ』を特別視する姿勢を見せた。それで良しとすべきではないか」とたしなめた。
市街地への原爆投下は「ジェノサイド」である。バッハ会長が権限の及ばない核兵器廃絶に触れなかったことを批判した地元紙や、黙祷を要請した政治家は「現在進行形で『人道に対する罪』を犯している中国共産党が主催する北京五輪」の開催地変更を訴えるべきだったのだ、と島田は訴える。なぜなら、この開催地変更こそが同会長の権限に関わる問題であり、広島県知事、市長たちがそれを迫れば、ニュースとなって世界に発信されるからだ。
核廃絶を訴えるリベラル派に聞かせたいのは、島田が論考の最後に記した次の言葉だ。「核を使わなくとも、毛沢東のように六千五百万人以上を死に追いやることは十分可能である。中国や北朝鮮のような非道な独裁政権を生き永らえさせることは、核爆弾数十発のスローモーション爆発を許すに等しい。この事実を銘記したい」
最後に東京五輪と左翼文化革命との連動を指摘した論考を紹介しよう。元駐ウクライナ大使、馬渕睦夫の「共産主義文化革命に染まっていた東京オリンピック」(「WiLL」)だ。
東京五輪の基本理念の一つに、「ダイバーシティ&インクルージョン(多様性と調和)」がある。馬渕によると、この標語は連邦政府に、「批判的人種論」に基づいた「人種多様性理論」の教育を義務付けたオバマ元米大統領の大統領令に由来し、米国社会の左翼文化革命を象徴する用語だ。
批判的人種論とは、「アメリカを支配してきた構造的な黒人差別の体制を破壊しなければならないという過激な内容」で、米国は黒人差別で成り立ってきた国として、米国建国は1776年ではなく、最初に黒人が連れて来られた1619年にすべきだと主張する。
今、米国ではこの理論を推進する教員組合と、反対する保護者の間で激論が交わされ、LGBT(性的少数者)に関する学校教育が大きな社会問題になっている。例えば、バージニア州では、トランスジェンダー(体の性に違和感を持つ人)擁護を強調する教育方針に反対する公立学校の教師が辞任する事態も起きている。この事実を知ると、東京五輪では、女子重量挙げに元男子が出場したが、そこにも左翼イデオロギーが影を落としていることが分かる。
「多様性と調和」を五輪の理念として掲げることを否定はできない。むしろ、それを逆手にとって、古来、多様性を認める「日本の伝統的な多様性社会を強調すべき」だったのだが、左翼イデオロギーの影響を受けたコンセプトになったというのが実情。その上で、強調したいのは、革命家たちは人種差別をなくすことや、LGBTの権利擁護を考えているのではなく、「現在の文化秩序を破壊するために、彼らを被害者に仕立て上げて革命に利用しているだけ」という馬渕の見方だ。そして、読者には、次の言葉を胸に刻んでほしい。
「革命家は、『あなたが不幸なのは社会制度が悪いからだ』と甘言を弄(ろう)して囁(ささや)きます。言うまでもなく、不幸の原因は社会にではなく我々自身にあります。自らを律し、精神を浄化することによって、共産主義者の甘言を見破ることが可能になるでしょう」(敬称略)
編集委員 森田 清策





