米国の「キャンセル・カルチャー」が日本に上陸
批判理論が不寛容を煽る、自ら「性的少数者」と見なす若者
米国で今、個人や組織の問題行動や発言を取り上げて、解雇や企業の製品をボイコットするばかりか、社会的な“抹殺”もためらわない不寛容の風潮が強まっている。
この動きは既に日本にも上陸している。もうすぐ東京五輪・パラリンピックが開幕するが、今年3月、その開閉会式で企画・演出の統括役を務めるはずだったクリエーティブディレクターが辞任した。1年も前に行ったグループライン上の発言が週刊誌に漏れ、女性タレントの容姿を侮辱したなどとして批判されたのだ。森喜朗が同組織委員会の会長職を辞任したことにも、同じ社会風潮が感じられる。
月刊誌7月号に、米国や日本などで見られる不寛容の社会背景を探る上で、興味深い論考があった。「中央公論」に掲載された「『キャンセル』が飛び交う不寛容な国・アメリカ」だ。米スタンフォード大学シニアフェローのフランシス・フクヤマに、関西大学客員教授の会田弘継がインタビューした内容をまとめたものだ。
1989年、冷戦の終結を自由と民主主義の勝利と断じた論文「歴史の終わり」を発表したフクヤマは、新保守主義の立場に立つ政治学者として知られたが、その後、新保守主義とは距離を置くようになった。共同通信ワシントン支局長を務めた経歴を持つ会田の訳書には、フクヤマの「アメリカの終わり」「政治の起源」などがある。
論考は米国で勢いを増すキャンセル・カルチャーを中心に社会状況を分析し、不寛容な言論空間の原因について迫っている。米国で起きていることはいずれ日本でも起きると言われてきたが、ネット時代の今は、それがわずかな時間差で現れる。
80年代、米国の左派から発生し、日本にも伝わってきた「ポリティカル・コレクトネス」(政治的正しい言葉遣い=略称・ポリコレ)運動との関わりが深いキャンセル・カルチャーを知ることは、今後の日本の言論状況を考える上でも非常に参考となる論考だ。
フクヤマは、キャンセル・カルチャーが隆盛する背景を次のように分析する。起源は、言葉には権力構造が埋め込まれていると主張したミッシェル・フーコーなどの批判理論の体系がある。
「言葉は現実を描写する中立的な手段としてあるだけではなく、言葉自体がその現実を形成していく。言葉を使っているうちに、無意識に権力構造が強化される可能性」があるという考え方だ。これはポリコレにも通じる思想でもある。
例えば、米国では最近、特にリベラルな人々の間で、メールの署名欄の名前の横に「she/her/hers」や「he/him/his」と表記するケースが増えているが、「これは自らの性認識で、メールではその代名詞を使ってほしいと伝えるもの」だ。
なぜそのようなことが行われるのかと言えば、「性別の代名詞を、生物学に基づいて使い続けることは、誤った考えを強化することで、それはトランスジェンダー運動の信念」に反するからだという。
日本でも最近、官庁や企業の間で履歴書などから性別欄をなくす動きが出ている。いわゆる「ジェンダー平等」の考え方から、「中立性」を確保しようというのである。社会の中では、あえて男女を分ける必要がないケースがあることは確かだ。
だが、何が中立的であり、何が「差別」「偏見」なのかを判断する客観的基準が存在しないために、この動きが行き過ぎて混乱や軋轢(あつれき)を生みやすいという弊害もある。既に、当事者の性自認を認めなければ「差別」とされる流れが生じている。生物学的性差の無視、そしてトイレや更衣室の男女共用化などの流れだ。
この問題については、麗澤大学教授の八木秀次が論考「理解増進法は人権擁護法案のLGBT版だ」(「正論」)で指摘している。
「公衆浴場や旅館・ホテルの浴場、トイレ、更衣室等への『トランス女性』の入場を認めなければ『差別』となる」。トランス女性とは、生物学的には「男性」だが、性自認は「女性」の人を指す。
このため、「東京都浴場組合に五輪期間中に配慮するようにとの意見書が提出されている」(八木)というが、トランス女性が女風呂に入ることを認めれば、他の女性の人権が無視されるという問題が生じるのであるから、混乱は避けられない。
性別を自己の認識に従って“自己決定”することを「トランスジェンダーリズム」と呼ぶが、フクヤマはこの問題について、興味深い指摘を行っている。
スタンフォード大学のフクヤマの講義受講の応募書類を見ると、学生に自分を性的少数者(LGBT)と見なしたがる傾向があるというのだ。なぜか。
「被害者集団の一員であるのはよいことだと考える。そんなふうに自分のアイデンティティをとらえるのが普通になっている。この風潮がもたらす結果は思ったより深刻かもしれない。反発が起きる可能性もあります」と憂慮している。キャンセル・カルチャーの風潮を目の当たりにしている若者たちは、社会から排除されることへの恐怖心からそんな選択をしているのだろう。
若者たちの、こうした傾向は、日本でも見られる。名古屋市が2018年に行った「性的マイノリティー等にかかわる意識調査」で、自らを性的少数者であると答えた割合は、50代の女性は0・4%にとどまったが、18~29歳では8・0%と20倍に達した。日本でLGBT運動とキャンセル・キャンペーンがさらに活発となれば、自らを性的少数者と考える若者はもっと増えるだろう。
既に指摘したように、トランスジェンダーの活動家たちは、ジェンダーとは生物学的な生まれつきのものではなく、人々が自ら選択するもので、男性の染色体を持って生まれたとしても、女性である場合もあると主張するが、「ジェンダーは完全に自分で決められるという考えは、実際にはほとんど信じられていないはずです。そんなおかしな考え方には必ず反動が起きると思います。10年後には『こんな考えを押し付けようとしていた人たちがいたなんて信じられない』と言われるかもしれません」とフクヤマは予測する。筆者も同感である。
一方、フクヤマはキャンセル・カルチャーの背景にある要因として、批判理論のほかに、もう一つ挙げている。それはインターネット交流サイト(SNS)だ。
「ソーシャルメディアの発展により、公の場と私的な発言の明確な境界線が完全に失われてしまいました」
何気ない私的な発言がSNSで拡散され、しかもいつまでも保存される。それがいつ表に出て、許しのない攻撃にさらされるか分からない。
「テクノロジーは、我々にプライバシーを与えてくれているように錯覚しますが、実際にはプライバシーなど何もありません。発言すべてが不利に使われる恐れがあるのです」
言論空間で不寛容な風潮が強まる日本であればこそ、この指摘を重く受け止めるべきだろう。
(敬称略)
編集委員 森田 清策





