ロシアの軍事学・軍事ドクトリン

ロシア研究家 乾 一宇

下げられた核使用の敷居
通常戦力低下で貧者の戦略に

乾 一宇

ロシア研究家 乾 一宇

 日本は、今なお米国占領下の日本劣化政策の影響下にある。その一つが軍事音痴である。あるロシア関係の記事で、ヴァエンナヤ・ナウカ(military science)を軍事科学と訳していた。軍事科学の意味合いには、小松左京の空想科学小説の世界を想起させるものがある。political scienceを政治科学というだろうか。政治学である。同様に、「軍事学」の方が適切であろう。

戦争を対象とする科学

 ロシアは、ソ連時代以来、用語を厳密に定義し、諸事を進める。

 欧米では、軍事学、ドクトリン、兵術、戦略、戦術といった用語は、普遍的な意味合いが強い。一方、ロシアでは、これらの用語をきちんと定義して使用している。

ロシア・ソ連での軍事学は、戦争の本質と法則、軍と国家の戦争準備、戦争の遂行方法に関する体系化された知識である、という。軍事学は、戦争を研究対象とする科学の一分野であり、意見の対立や議論を進め、軍事学の進歩を促す。

 ロシアの軍事学は、兵術の理論、軍事力整備の理論、軍事訓練・教育の理論、軍事経済と後方の理論を包含している。また、軍事学は、国軍の指導および戦略・作戦術・戦術規模の部隊指揮についての諸問題を調査・研究する。後者は兵術と称し、適用する部隊の規模に応じ(軍事)戦略、作戦術、戦術に区分する(米国も1986年にこの3区分を採用)。

 これに対して、ロシア(ソ連)軍事ドクトリンというものがある。

 ロシア・ソ連の軍事ドクトリンは、将来戦の目的と性格、国家と軍の戦争準備、戦争遂行の方法に関し、ロシア・ソ連がある時期に採用した体系的な見解であり、個人的見解や評価の入る余地がないものである。もっとも、軍事ドクトリンは、兵術の最重要部門である軍事戦略と相互依存の関係にある。

 ロシアになって、1991年、軍事ドクトリンの上位概念として「ロシアの安全保障構想」が出現、2009年に「ロシアの国家安全保障戦略」と発展し、それに基づき軍事ドクトリンや、外交構想、海洋ドクトリン、情報ドクトリンなどが構想されるようになった。軍事力だけでなく、あらゆるものを総合して、国家の安全を確保しようとするものである。

 講釈ではなく具体的に、ロシア・ソ連の軍事ドクトリンを見てみよう。

 1970年代後半、ソ連は、戦略核兵器において米国と戦略的均衡(パリティ)に達し、核脅威下の通常戦戦略を追求した。当時、ソ連は欧州戦場において圧倒的な量の、機械化された通常戦力を擁し、奇襲による攻勢作戦(縦深打撃戦略)により北大西洋条約機構(NATO)軍が戦術核兵器を使用する前に、短期間で圧倒・殲滅(せんめつ)する構想を抱いていた。西側ではこれを作戦機動グループ(OMG)構想と称し、対応策の開発に迫られた。

 それが、核兵器に依存しない米国の非核防衛構想である。その核心は近未来技術、例えば無人偵察・攻撃システム、遠距離高精度誘導兵器、無人飛行体、指揮・統制自動化システムなどを活用する縦深打撃戦略である。第一線で防御戦闘を行っている間に後方のソ連軍突進部隊を同時に打撃する構想である。これを具体化したものが、82年米国で開発・構想されたハイテク技術を駆使するエア・ランド・バトル(空地戦)構想であり、84年にNATOで採用された敵後続部隊打撃構想であった。

 ところが、今のロシアは、天然資源(主に原油・ガス)依存の経済や少子高齢化による人的戦力の欠如、先端技術の遅れなどから地域大国の地位に甘んじなければならなくなった。かつてのような西側の恐れる通常戦力を保持できず、核戦力に頼らざるを得なくなった。その結果、相手が通常戦力で攻撃してきても、核兵器で防衛することになる。

局地戦争で先制使用も

 しかも、大規模戦争だけでなく地域戦争でも、さらには局地戦争(彼らの戦争区分)であっても、国家が危機的状況に陥れば予防的(あるいは先制的)な核攻撃をも辞さないという考え(構想)である。地域大国になり下がったロシアは、(戦術)核兵器使用の敷居を低くし、核の先制使用も辞さない貧者の戦略を採っているのである。

(いぬい・いちう)