火事場泥棒的手法変えぬ中国
拓殖大学国際日本文化研究所教授 ペマ ギャルポ
香港強圧、印と国境紛争
非難談話でなく具体的制裁を
中国の火事場泥棒的な手法は変わらない。むしろ中国の特有の性格であると言っても過言ではない。今回、世界中が中国・武漢発祥の新型コロナウイルスで世界大戦並みの犠牲者を出し、各国が対応に苦心する時も、中国は日本の領海を継続的に侵害し南シナ海の支配を確立するための実効支配を固め、全国人民代表大会(全人代)では香港の一国二制度を事実上廃止する法律を作った。さらに南西アジアにおいては5月から今日まで3回(5月6、7、14日)インドとの国境で小競合いをし、6月15日には死者を出す紛争を起こしている。
条約無効を主張し侵攻
もちろん中国の言い分は、自分たちは相手の主権を侵してはおらず「あくまでもわが祖国の正当な領土と主権を守る行為にすぎない」と厚顔無恥の主張を繰り返すだけである。今回、インドのラダック地方における事件は少なくともインド側に20人の死者を出している。現段階では中国側の死者は未発表である。インド軍によると中国側でも負傷者は出ているとのことだが、メンツを重んじる中国側がそれを認めないのは不思議ではない。なぜならば第一に中国の行為は国内から湧き上がる習近平体制に対する不満と世界からの武漢ウイルスへの非難を逸(そ)らす目的がある。
そもそも中国がいう国境とは、本来イギリス領インドとチベットの国境を定めた1914年のシムラ条約に基づいて決めたマクマホン・ラインをそのままインドが継承したものであり、中国も59年までは強く否定をしなかった。50年、インドは早々と毛沢東の中国を承認した。その後、朝鮮戦争のどさくさに紛れて中国がチベットを侵略し、51年にチベットとの間に17条の協定を結び、チベットの外交と防衛以外の内政には干渉せず既存のダライ・ラマ法王を頂点とする政治制度にも一切手を加えないとして、最初の一国二制度が成立した。
54年、インドもそれを追認するような形で北京政府とチベットに関する通商条約を結び、いわゆる平和五原則を基本とする条約が中国とインドの間に結ばれた。その時、中国を訪問したネールは帰国後カルカッタで「中国は平和を望んでいる。中国はインドと戦争をしない」と語り、当時チベット独立を認めるべきだというサダル・パテルなど中国に対する強硬派の説得に努めた。
だが舌の根も乾かないうち、59年になると中国は、マクマホン・ラインに関して、植民地主義者のイギリスが勝手に一地方政府に過ぎないチベットと結んだ条約は無効であると主張し、62年に突然インド領内、現在のアルナチャル州に大軍を送って第1回中印戦争が起きた。それまで中国の言葉を信じ、戦争の準備の無かったインドは当然大敗した。その後も2回紛争があったが、理想主義者でお人よしの父親ネールと異なり、現実主義者で勇敢なインディラ・ガンディーは負けることは無かった。あれから半世紀、今回のような多数の死者を出すような大きな紛争は起こらなかった。
私は少年時代、毎晩、中国の国連加盟を祈っていた。そして実現したときは一時、これからは中国も国際法を重んじ、世界の常識に従い、周辺の国々にとっても良い結果がでるだろうと甘い期待を抱いていた。だが、間もなく中国は何も変わっていないことに気付き、自分の進路を、法による正義よりも力による政治が必要と思い法学から政治学に変更した。私以外にも世界中が中国に普通の国になることを期待したと思う。
中国の世界覇権許すな
今回、中国がイギリスとの国際条約に等しい香港返還に関する共同宣言を無視したことに対して、アメリカ、イギリスなどと共に日本は中国を非難する談話を発表した。しかしこのような談話は中国にとってはほとんど意味が無い。もっと具体的な制裁が必要である。これは単なる領土問題や人権問題だけではなく世界の秩序を自由、民主、法の支配によって確立するか、中国的一党独裁の世界覇権を許すかの問題である。つまり、かつて南アフリカのアパルトヘイトに対して世界が経済制裁を加え、白人少数による政権を倒したように、中国共産党に対し具体的な制裁を日本をはじめとする国々が言葉ではなく、態度で示すことが急務であると訴えたい。