在米ユダヤ人の改姓事情
獨協大学教授 佐藤 唯行
進学・就職の差別回避策
70年代以降姿消し旧姓復活も
在米ユダヤ人の間で改姓が無視し難い割合で行われてきた事実はユダヤ社会内部の公然たる秘密であった。ここで言う改姓とはユダヤ姓を捨て、米英のキリスト教徒風の姓に変えてしまうことだ。平均的な在米ユダヤ人であれば身内に誰かしら名字を変えた親類縁者がいるはずだ。それほどありふれた現象だったのだ。手続きも難しくない。最寄りの裁判所に申請書を提出すればよい。改姓理由がもっともなものであれば却下されることはまずない。
ユダヤ移民家庭の場合、改姓のピークは20世紀前半から中頃にかけてであった。タイミングは子供の大学進学・就職活動の直前が多かった。背景には米高等教育界、企業社会におけるユダヤ人排斥の激化があった。この事態に直面したユダヤ移民家庭は子供たちのキャリア形成を実現する戦術として改姓を行ったわけだ。なぜなら大学や企業が志願者の中からユダヤ人をえり抜き、排除しようとする際、通例、第一関門の書類選考でユダヤ姓の持ち主を不合格としたからだ。
あたかも無用の雑草を引き抜くかのようにユダヤ人の数を減らそうと大学や企業の担当者が血道を上げたのはなぜだったのか。それはユダヤ移民家庭出身者の学力と高学歴ホワイトカラー志向が他のエスニック集団を圧倒的に凌駕(りょうが)していたからだ。この事態を黙視すれば早晩、自分たちの大学や企業にユダヤ人があふれ主導権を奪われ、集団としての白人プロテスタントの既得権益が脅かされてしまうと考えたのだ。このような危機意識を共有した白人プロテスタント集団が排斥網を強化したわけだ。
次に排斥の程度を示す数値を紹介すれば、1937年の世論調査ではニューヨーク市内の大企業の内、89%が社員の採用に際してキリスト教徒を優先すると回答している。また37年のフォーチュン誌の調査は全米の医科大学への志願者中、ユダヤ人は50%を占めながら合格者は17%にすぎなかったことを明らかにしている。こうした状況の中で改姓は排斥を回避しようとする者にとり、有効な戦術と見なされたわけだ。
しかしキャリア形成を目指すユダヤの若者の全てが改姓したわけではなかった。むしろ改姓を選択しなかった若者の方が多かったのだ。理由は改姓を抑止する圧力がユダヤ社会の中に存在していたからだ。改姓は自身を尊ぶ者のすることではなく、改姓者を「恥ずべき者」と軽蔑する風潮が強かったのだ。
例えば40年に改姓した某ユダヤ人男性はユダヤ娘との結婚を望んだのだが、娘の両親からユダヤ姓に戻さぬ限り娘はやれぬと拒絶されたのだ。また仕事仲間のユダヤ人たちからも改姓者とは今後、商売上の付き合いは願い下げだと言われている。こうした圧力に耐え切れず、元のユダヤ姓への変更を再び裁判所に申請するケースも、ごくまれだが存在したのだ。
否定的イメージを付与された改姓者の姿は20世紀半ばに全盛期を迎えるユダヤ系米文学の中にもたびたび登場する。最もポピュラーな作品は後に映画化され、アカデミー賞も受賞したローラ・ホブソン著の『紳士協定』だ。
同書の中には主人公の秘書役として姓を東欧ユダヤ風のワロスキーから英語姓のウェイルズへと変えた女性が登場する。彼女は就職差別を回避するために改姓したのだが、人物造形は明らかに否定的で、「自己嫌悪のユダヤ人」として描かれているのだ。『紳士協定』は読者・観客に対して差別を目の前にした時、見て見ぬふりをせず、声を大にして抗議することの大切さを説く、優れた啓蒙(けいもう)作品ではあるが、ユダヤ社会の一員である著者ホブソンの改姓者に対する否定的認識を色濃く映し出すものでもあるのだ。
しかし、改姓者を「自己嫌悪のユダヤ人」と決め付ける非難は、現実社会に生きる生身(なまみ)の人間の人生と決断の複雑さを見逃していると言わざるを得ない。改姓者の大半は改姓後もユダヤ人意識を失わず、ユダヤ社会の一員として生活を続けているからだ。
改姓したからといってユダヤ社会と疎遠になってしまうわけでは決してないのだ。改姓を経験した某ユダヤ人は胸の内をこう語っている。「私はユダヤ人ではないふりをしているわけではないし、ユダヤ人でなかった方が良かったと思ったことは一度もない。ユダヤ姓では日常生活の妨げとなるから改姓したのだ」
さて、その後の改姓現象だが、米社会のマイノリティー差別が大きく減退した70年代になるとユダヤ人の生活の中から姿を消してしまう。さらに20世紀末以後になると興味深い現象が出現するのだ。父や祖父の代に捨てたユダヤ姓を子や孫が復活するケースである。
姓は民族の歴史、文化、アイデンティティーが凝縮されたものである。ユダヤの民族的・文化的誇りが復興する中、ユダヤ姓は民族的誇りを示す象徴の一つとして再認識されるようになったのだ。その背景にはかつての被差別マイノリティーからパワー・エリートへ成り上がったユダヤ人たちの米社会における大幅な地位向上があったことは言うまでもない。
(さとう・ただゆき)