米ユダヤ教会堂襲撃の背景

佐藤 唯行獨協大学教授 佐藤 唯行

根強く残る白人優越主義
陰謀論を信じ難民を蛇蝎視

 10月27日、米ペンシルベニア州ピッツバーグ市東郊のユダヤ教会堂(シナゴーグ)に男が押し入り、安息日礼拝を行っていた信徒めがけ発砲。11人を殺害し、2人を負傷させた。男は駆け付けた警官隊との銃撃戦で4人の警官を負傷させたが、自身も被弾し投降した。犯行現場は市内で最も多くユダヤ教徒が集住する住宅地の一角にあった。悲報に接した在米ユダヤ社会の衝撃は大きかった。

 全米各地のユダヤ教会堂は模倣犯の出現を恐れ、扉を固く閉ざし武装警備員の数を増やすなど厳戒態勢を強めたのだ。

 今回の事件はユダヤ社会を狙った単発の攻撃としては米史上、最大の人的被害をもたらすものであった。過去20年間における類似の事件を挙げれば、1999年にはロサンゼルス近郊のユダヤ公民館で7人を負傷させる銃撃事件が起きた。2014年、ミズーリ州カンザスシティー近郊の事件ではユダヤ公民館前で3人が殺害された。犯人はいずれも白人優越主義者であった。一方、イスラム原理主義者による犯行では1人を殺害、5人を負傷させた06年のシアトル・ユダヤ人連盟乱射事件が記憶に新しい。こうした過去の類例と比べると今回、ピッツバーグの事件は人的被害の甚大さという点で突出していることが分かるのだ。

 アメリカにおけるユダヤ人攻撃の歴史を顧みれば20世紀末以後、黒人民族主義者が新たな担い手として台頭してきたことが分かる。彼らが引き起こした1991年のクラウンハイツ暴動では罪なき一人のユダヤ人青年が刺殺された。21世紀に入ると在米イスラム教徒が新たに戦列に加わり、前述のシアトル・ユダヤ人連盟乱射事件を引き起こした。こうした中、かつて唯一の主役であり続けた白人優越主義者の存在感は低下したかのように思われていた。白人優越主義者指導層の中には世界的規模で台頭するイスラム原理主義勢力の脅威に対抗するためにシオニスト系ユダヤ人との共闘を唱える者さえ登場した。

 しかし、今回の事件はこうした指導層による遠大な合従連衡の呼び掛けには限界があり、草の根レベルの白人優越主義者にとってはユダヤ人は今なお主要攻撃対象であり続けていることを示していると言えよう。かつて筆者は拙著『アメリカのユダヤ人迫害史』において反ユダヤ主義の現状を総括したエピローグの表題に「反ユダヤ主義は死なず」という見出し文を掲げたが、それから18年が経過した現在でも反ユダヤ主義は依然命脈を保ち続けているのである。

 次に今回の事件の容疑者ロバート・バウアーズの人物像と犯行動機に迫ってみよう。彼は近隣に住む無職独身の白人中年男性で、地域社会から孤立した生活を送ってきた。会員制交流サイトにホロコーストの存在を否定する書き込みを行ってきたこと、また警官隊との銃撃戦のさなかに「ユダヤ人は皆死なねばならぬ」と叫んでいたことから、犯行は計画的なヘイトクライム(人種・宗教的理由に基づく憎悪犯罪)であった可能性が高い。犯行の直接的動機を示す手掛かりは、襲撃直前にサイトに投稿された一文だ。その要旨を整理し、文脈の背景説明を加えると以下の内容となる。

 「中米から合衆国への不法入国を目指し北上中の数千人ものヒスパニック系集団を支援しているのはグローバルレベルで難民支援を続けるユダヤ人の非営利団体HIAS(ヘブライ移民援護協会)だ。ユダヤ人団体は無法なヒスパニック系犯罪者を合衆国に招き寄せることで本来のアメリカ人(白人キリスト教徒)を葬り去ろうとしているのだ。この事態を黙視できず自分は決起するのだ」

 犯行予告声明とおぼしきこの投稿を読む限り、「北上中のヒスパニック系は実は凶悪なギャング集団で、ユダヤ人たちは彼らを使ってアメリカ人殺しをもくろんでいる」という陰謀論的世界観に容疑者は取り憑(つ)かれていたと推察できるのだ。そしてこの陰謀論は独り容疑者のみならず、多くの米白人優越主義者の心を捉えている可能性があるのだ。

 容疑者が名指しで非難したHIASとは19世紀末の設立以来、数百万人の難民に米入国定住支援を提供してきたユダヤ人団体だ。

 当初、救済対象は東欧系ユダヤ難民らに限られていたが、20世紀後半になりユダヤ世界での難民が減少すると救済対象は東南アジア・中東出身者へ移っていった。かの地で共産主義やイスラム原理主義と戦う米軍に協力したことで迫害を受けた人々が難民化したからだ。非白人系難民を蛇蝎(だかつ)視するバウアーズ容疑者のような白人極右にとり、非白人の米定住支援を続けるHIASは不倶(ふぐ)戴天(たいてん)の仇敵だったわけだ。

 HIASは日本とも浅からぬ因縁で結ばれている。ロシア革命後、5000人ものロシア・ユダヤ難民が日本に押し寄せた時、HIASは急遽(きゅうきょ)、横浜の山下町に日本支部を開設したのだ。この時、内務省に働き掛け、難民の日本上陸と日本経由での米渡航を速やかに実現させたのが渋沢栄一であった。日露戦争が終わり既に13年が経っていたが、日本の要人たちの間には戦争遂行資金調達に協力してくれたユダヤの恩人たちへの感謝の念は鮮明に保たれていたのだ。

(さとう・ただゆき)