マケイン氏と共に逝った米国
アメリカン・エンタープライズ政策研究所客員研究員 加瀬 みき
共通の価値観より国益
自由と民主推進の理想喪失
アメリカ上院の重鎮ジョン・マケイン議員が8月、悪性の脳腫瘍である神経膠腫(こうしゅ)で逝去した。遺族以外で死を一番悼んでいるのはアメリカの自由民主主義を理想と抱いてきた人々かもしれない。
マケイン議員は2008年の大統領選挙の共和党大統領候補であったが、ベトナム戦争時、戦闘機が撃墜され捕虜となり拷問に耐えたことで知られている。父も祖父も海軍大将であったため、北ベトナム軍が早期釈放を申し出たが、米軍の捕虜は捕らえられた順に解放されるという規則があるとして、特別扱いを拒み、結局5年間「ハノイ・ヒルトン」と呼ばれる捕虜収容所で生死をさまよった。この結果、その後一生、腕が肩より上に上がらず、上着を自分で着ることもできなかった。この経験から広く拷問と見なされる水責めを共和党政権が容認する中、拷問は非人道的であるばかりか、拷問で得た情報は信憑(しんぴょう)性に欠けるとして反対し続けた。
死後、議会は遺体を連邦議会議事堂の円形広間に公開安置し、追悼式典を催し、議員や市民が哀悼の意を表明する機会を設けた。秀でた公職者の公開安置は1852年に始まったが、これまで11人の大統領そして副大統領や2度の世界大戦中の司令官などの軍人がこの栄誉を受けている。マケイン議員は公職者としては30人目、議員としてはわずか10人目であり、いかにその功績が評価されたかが明らかである。
しかしマケイン議員は共和党内部で常に人気があったわけではない。「マーベリック」(異端者)といえばマケイン議員のこと、と誰でも分かるくらいに自党の大統領や議員、友人の怒りを買ってでも自分の信念を曲げず、見解を遠慮なく表明することで知られていた。
今、アメリカの政治や社会は激しく分断し、両党の議員がまともに会話を交わすこと、ましてや政策遂行のために協力することはまるで自党を裏切るかのような雰囲気となっている。だが、マケイン議員は信念や政策を共有する議員たちとは党を超えて友情を築き協力した。最も有名なのは民主党の大御所エドワード・ケネディ氏と国境警備の強化を含めた総合的な移民法を提示したこと、そしてファインゴールド議員(民)と協力し超党派で通過させた選挙運動資金改革法であろう。
地元アリゾナ州での葬儀ではバイデン前副大統領(民)が涙を流し、国立大聖堂での告別式では深い友情で結ばれていたリーベルマン元上院議員(民)がマケイン議員の異端者ぶりを披露し、遺族や参列者の笑いを誘った。
トランプ政権になってからは、強い影響力を持つ上院の軍事委員会委員長として大統領の外交安全保障政策を厳しく吟味したばかりでなく、大統領の選挙公約でもあったオバマケア廃止のための法案に反対票を入れ、法案をつぶした。トランプ大統領がいかにマケイン議員を恨んでいたかは、同議員は「捕虜になったのだから英雄でない」と述べていたことからも分かる。
両者には基本的な価値観の違いがあった。マケイン議員は、アメリカは自由や民主主義の推進国、それを求める人々を援助すべきだとし、独裁者に立ち向かうことを固く信じていた。イラク戦争後、特にオバマ政権になってからアメリカが内向きになる中、ジョージアやウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟を支援し、ロシアのさらなる侵攻を恐れる両国やバルト3国への政治・軍事支援を訴え続けてきた。ジョージアをはじめとしたロシアに接する国々は、マケイン議員が自分たちのために声を上げてくれると信じてきた。
安全保障会議の中で最も威信のあるとされるミュンヘン安全保障会議の常連であり、英国やドイツをはじめ東欧諸国の政治や軍指導者と密接な関係を築き、安全保障面の知識やネットワークでは右に出る者がいなかった。
欧州の政治・経済の方向性に決定的な影響力を行使してきたドイツのメルケル首相は、マケイン議員の死に「マケイン議員は、全ての政治活動は自由、民主主義、法治という価値の下に成り立っているという信念に導かれていた」と述べている。メルケル首相はトランプ氏の大統領選出時、米独両国は自由民主主義や人種、性別、宗教や政治思考を超えた人間の尊厳といった共通の価値観を共有しており、それらに基づいて密接な関係を結びたい、とトランプ氏にクギを刺したことで知られている。
トランプ候補は大統領選でアメリカはもう他国の面倒ばかり見るべきではないと訴えた。そのトランプ氏が大統領となり、掲げるアメリカ第一主義は、アフガニスタンやイラクから撤退し、シリアに関与しないばかりでない。同盟国への支援もメルケル首相の述べる共通の価値観のために戦う保証もなくなった。
マケイン議員の情熱は時に介入主義と行き過ぎが批判された。しかし、マケイン議員は常に自由民主主義の長としてのアメリカは何をすべきか、いかなる価値観を維持すべきかを問い、アメリカが高い理想に基づき行動するよう求めてきた。そうしたアメリカを同盟国は信頼し、敵は恐れてきた。そのアメリカはマケイン議員と共に逝った感がある。
(かせ・みき)






