バイデン氏「人殺し発言」の波紋
日本対外文化協会理事 中澤 孝之
単なる「失言」か「挑発」か
反発も健康不安説煽るロシア
ジョセフ・バイデン米大統領は3月17日、米ABCテレビの司会者、ジョージ・ステファノボロス氏の「あなたはロシアのプーチン大統領をよく知っている。彼は人殺しだと思うか」との質問に、意外にも「そう思う(I do)」と、短く肯定した答えを返した。バイデン大統領は同時に、2020年米大統領選挙でのロシアの干渉に対する対応として近い将来、新たな制裁措置に踏み切るつもりであると言明。米国はじめ日本など各国メディアは早速、「プーチン大統領は人殺し」との見出しで、バイデン発言を伝えた。
米はプーチン提案無視
プーチン大統領に対する「挑発」とも受け取られかねないこのバイデン発言が、米露関係のさらなる悪化を招来するのかどうか、注目されているが、バイデン発言に早速、反発したロシア外務省は同日、「ロシアと米国の危機的状況を是正する方法を決定するなど、米露関係協議のため」、アナトリー・アントノフ駐米大使を一時帰国させるとの声明を発表した。同時に声明は、「ロシアは米露関係を修復不能になるまで悪化させることは望んでいない」とも付言。ただ、ロシア議会(上下両院)では、このバイデン発言をめぐり激しい米国批判が巻き起こったと伝えられる。
あるロシアの独立系外交専門家は「重要な問題は、バイデン氏のプーチン大統領に関する予想外の厳しい発言が単に、同氏の有名な『失言』のさらなる例なのか、それともプーチン氏との個人的な対立の計算された意図的なエスカレーションなのか、である。後者ならば、クレムリンとしては無視することができない直接的な挑戦ということになる」と分析した。
外交慣行上、バイデン発言のような場合、「デマルシェ(de´marche)」と呼ばれ、政治的パートナーの行動や発言に対する強い不満を示す言動を指す。ロシアは正式に駐米大使を召還したわけではないが、状況がさらに悪化すれば、大使は帰任せず無期限にモスクワにとどまる可能性がある。
一方、プーチン大統領は翌18日、バイデン発言への返答の意味を込めるように、国営テレビを通じて、早急な米露首脳会談をバイデン大統領に呼び掛けた。大統領は、「バイデン氏に議論の継続を提案したい。ただし、生中継、オンラインが条件だ」と述べた。数日中にも実現したいという首脳会談では、2国間関係のほか、核軍縮、地域紛争、新型コロナウイルス対策などを協議する考えを示した。とりわけ、コロナ禍に関しては、米国の状況はロシアより悪く、知見を共有できるとプーチン大統領は主張した。バイデン発言には、プーチン提案のように、公式にはロシア側から、自制した対応が目立つ。
こうした提案に先立ちプーチン大統領は、バイデン発言を念頭に置きながらも直接触れずに、「相身(あいみ)互いだ」と述べ、「我々は他人や他国を評価するとき、常に鏡の中の自分を見ている」とも指摘。米国の先住民迫害の歴史や日本への原爆投下の例を挙げて、米国の指導者たちも殺戮(さつりく)に関与していたとの見解をにじませた。また、記者から「バイデン氏に何か言いたいことは?」と聞かれた大統領、「彼の良好な健康を望む。皮肉や冗談抜きで」と答えた。
早急なオンライン首脳会談開催というプーチン大統領の提案から5日目の22日、ロシア外務省は、「米国が提案を支持しなかったのは遺憾だ」と批判する声明を発表した。声明は「両国関係の行き詰まりの打開に向けた機会が、またも失われた。責任は完全に米国にある」と主張した。提案後1週間以上たった時点でも、米側はプーチン提案を無視し続けている。
判断能力低下が原因か
伝えられるところによれば、ロシアでバイデン発言は、78歳という米国史上最高齢で大統領に就任した本人の判断能力の低下が原因ではないかとの見方が強まっているという。ロシアの国営テレビは、プーチン大統領がシベリアの雪に覆われたタイガ(針葉樹林)で、大型車両を自ら運転し、軽快な身のこなしを見せる場面を放映する傍ら、バイデン大統領が大統領専用機に搭乗する際、タラップで3回も転んで体勢を崩す画面を繰り返し流し、健康不安説を煽(あお)り立てた。(3月25日脱稿)
(なかざわ・たかゆき)