「ジョー・バイデンの米国」に備えて
東洋学園大学教授 櫻田 淳
米国第一から国際協調へ
日本が具体策を発信する好機
11月7日夜(米国東部時間)、ジョセフ・R・バイデン(米国前副大統領)は、2020年米国大統領選挙に際しての勝利を宣言した。「米国を再び偉大に」と呼号して登場したドナルド・J・トランプ(米国大統領)の執政は、彼が選挙結果を承(う)け入れない姿勢を露(あら)わにしているとはいえ、バイデン勝利が確定すれば、1期4年で来年1月に幕を閉じることになる。
バイデンは、選挙勝利を宣言する演説の中で、「私は、…分断させようとするのではなく、結束させる大統領になることを誓う。赤い州や青い州ではなく、ただ米国だけを見ることを誓う」と表明した。バイデンは、11月2日午後に行った選挙運動終了演説の中でも、「恐怖を超えた希望、分断を超えた統合、虚構を超えた科学、虚偽を超えた真実」を強調した。
「普通さ」を選んだ米国
そして、バイデンとともに次期民主党政権を率いることになるカマラ・ハリス(次期米国副大統領候補)は、バイデンの選挙勝利演説に先立つ前座としての自らの演説の中で、聴衆に向けて、「皆さんは希望、統合、品位、科学、そして真実を選んだのです」と語った。
現今、忘れられているかもしれないけれども、米国大統領は、「行政府の長」として政治権力を差配するだけではなく、米国の国家元首として「米国の価値・品性」を体現する存在である。
「希望・統合・科学・真実」の価値は、トランプ執政期4年の歳月の中で顕著に毀損されたと語られるものであるけれども、こうした価値の復元を唱えるバイデンは、昔日の「ジョン・F・ケネディに憧れた若者」として、善きにつけも悪(あ)しきにつけ「普通の大統領」になるのであろうと予想できよう。2016年にトランプの「異形さ」を選んだ米国は、此度(このたび)はバイデンの「普通さ」を選んだのである。
然(しか)るに、此度の米国大統領選挙に際して問われなければならないのは、それに接する日本国内世論の姿勢である。「他家の不幸は蜜の味」とばかりに米国の政治分断の現状を嘲笑するような言説が出てきたのには、筆者は苦々しいものを感じていた。
そもそも、自らは何の関与もできない他国の政治現象に際して、「馬券の予想屋」のように語る言説が相次いで出され、その「馬券予想」言説に一喜一憂、興奮する向きが浮上したのは、誠に奇怪にして不思議な風景であったと評する他はない。
米国との政治風土との違いを捨象して日本国内に出現した「トランプ支持」層の存在は、そうした奇怪さを象徴したといえよう。「トランプの米国」であれ「バイデンの米国」であれ、どちらも日本が同盟国として向き合うべき「米国」であることには変わりがない。
この観点からすれば、「米国第一主義」を標榜(ひょうぼう)したトランプとは対照的に、バイデンが「国際協調」を重視すると想定されている以上、その「国際協調」の具体的な中身のイメージは、できるだけ早急に日本から発せられる必要がある。
日本発の印・太平洋構想
たとえば、現今の日米共通構想としての「自由で開かれたインド・太平洋」構想は、安倍晋三内閣下の日本が出したものにドナルド・トランプ共和党政権が乗ったのであって、トランプ共和党政権が出したものに日本が呼応したわけではない。その意味は誠に重要である。
加えて、安全保障法制策定にせよ「広島・真珠湾の日米歴史和解」の実現にせよ、「自由で開かれたインド・太平洋」構想の提示に先立つ安倍内閣下の対外政策業績は、バイデンが副大統領職を務めたバラク・H・オバマ民主党政権と気脈を通じた上でのものである。
「米国よ、このように振る舞え」と日本からメッセージを発するには、米国が「国際協調」の輪に戻ろうとしている今は、佳(よ)いタイミングかもしれないのである。(敬称略)
(さくらだ・じゅん)