ロシアの特殊作戦軍SOF

日本対外文化協会理事 中澤 孝之

クリミア併合の立役者
高度な能力持つ独立した組織

中澤 孝之

日本対外文化協会理事 中澤 孝之

 米国陸軍の特殊部隊「デルタフォース」の存在はよく知られている。主に対テロ作戦を任務とするが、湾岸戦争(1990~91)、アフガニスタン紛争(2001~)、イラク戦争(03~11)などで活躍した。米国政府は公式にはその任務、作戦を認めていないとされる。

 ロシアの場合、各治安関係省庁がそれぞれ「スペツナズ(特殊任務部隊)」を擁しており、その最高位にあるのがロシア連邦軍参謀本部直轄の特殊作戦軍(SOF/ロシア語でССО)だが、あまり知られていない。

ベネズエラに兵員派遣

 ベネズエラにおける2人の大統領の対立をめぐる政治的な混乱に乗じてロシアは3月末、年初に2期目に入った合法的な反米左派のニコラス・マドゥロ大統領を支援するために、空路99人の兵員を首都カラカスに派遣した。その中にSOFが含まれていたといわれる。

 SOFの最初の戦績はクリミア併合の際で、「礼儀正しい人々」というニックネームのSOF要員が14年2月27日、クリミア半島に到着。彼らは海兵隊、空挺(くうてい)部隊、機械化ライフル部隊、民間軍事会社契約要員らと共に、戦闘行為抜きで地元のウクライナ軍部隊を無力化し、クリミア半島の戦略的なインフラと施設を完全に掌握した陰の功労者であった。

 そして、シリアの内戦でもSOFは活躍した。16年のアレッポ攻略と17年のパルミラでのイスラム過激派組織「イスラム国」(ISIL)との戦いに参加したといわれる。「SOFはロシアが現在保有している最も即応能力のあるエリート集団であり、SOFが存在しなければ、シリアでのロシアの成功は不可能だった」とはロシアの防諜(ぼうちょう)活動経験者の言葉だ。

 不敗のイメージを持ち、米軍の各種特殊部隊よりも優秀だといわれるこのSOFの創設は、資料によって若干異なるものの、歴史は浅く、09年あるいは13年といわれる。「露語版ウィキペディア」によれば、SOFの誕生については、まず09年にロシア連邦軍の全般的改革の中で、モスクワ州の軍部隊基地に軍参謀総長直轄の「特殊作戦局」が作られ、12年初めに、当時のニコライ・マカロフ軍参謀総長のイニシアチブでこれが「特殊作戦軍司令部」に変更された。そして、13年3月6日に、ワレリー・ゲラシモフ軍参謀総長が改めて特殊作戦軍の創設開始を宣言したという。つまり、09年に特殊用途センター「セネージ」の基礎の上に、最初の具体的な一歩を踏み出したが、きちんとした組織としてSOFが姿を現したのは、13年3月のこと。同年4月にはエルブルス山でSOFが参加した最初の戦術演習が行われたという(13年4月29日/Mil.ru〈国防省サイト〉)。

 ロシアの公式文書は、SOFが駆使する手段として「偵察、破壊工作(サボタージュ)、転覆活動、対テロ行動、対破壊工作、防諜行動、ゲリラ作戦、対パルチザン作戦、その他の活動」を規定している(19年3月17日/Mil.ru)。SOFは「高度な能力を持つプロフェショナルの小規模な集団ではなく、高度な能力を持つプロフェショナルで構成される軍のような大規模組織」だ。独立した軍組織であるSOFは「連邦軍を構成する他の軍組織から行動の承諾を得る必要はない」という(18年2月27日/RIAノーボスチ)。

大統領令で記念日制定

 プーチン大統領は15年2月26日付の大統領令によって、2月27日を「SOFの日」と定めた。タス通信によれば、大統領はSOFが「シリアでのテロリスト根絶と、歴史的な住民投票に際してのクリミア半島とセバストーポリでの平和維持の立役者となった」ことを強調しながら、隊員に祝意を表明したという。政府系ロシア紙「ラシースカヤ・ガゼータ」は、14年のクリミア併合と関連した命名だと報じた。

(なかざわ・たかゆき)